平地で60km/h以上出て、下りで80km/h
位出る自転車は、単に自転車ではない。
このような代物を持たない手はない、持つべきだ。
人生半分以上過ぎても十分乗りこなせ、健康維持増
進に役立つ・・・自動車から見れば邪魔な代物かも
しれないが、歴然たる軽車両。自動車の運転手は、
この事を知ったうえでクラクションを鳴らしたり、
すぐ傍を猛スピードで走り抜けるのか。・・・この
事だけが気にかかる。
さて、massengerbagに妻のお手製弁当を
入れてサイクリングに出ます。出来るだけ交通量の
少ない整備された道路で、高低差のあまりないコー
スを走ります。日ごろ出来ない会話も弾み、楽しい
サイクリングになります。鍛えるという意味では、
一人でガンガン走るのが良いのですが、このサイク
リングが家族の絆を強固にするのに一役かってくれ
るのです。
今まで見えていなかった家族の色々な部分が、見
えるかもしれません。楽しい家族の語らいの場面と
なります。
私は、既製品であればトレックのmadoneのパフ
ォーマンス6.5がほしいです。
2008年8月29日金曜日
2008年8月28日木曜日
roadracer・・・This bicycle is absolutely fascinating.
恐る恐る自転車commutationから始まりました。
bicycleといっても、roadracer買っちゃった。
これが、恐るべし。lightしfast速い。
30km~50kmのサイクリングなんてへっち
ゃら・・・ありえない、高校まではチャリ通で鍛
えていたが、最近は、まったく自信がなかったの
に(笑)。
自家用車の有難味がわかります。
ecology lifeの実感が湧きます。
hearthlyになります。
ガソリン代金がうきます。
沢山の事に気がつきます・・・道路の凸凹、天
気の予測、等など。
自然の恵みを感じます・・・登ったら、必ず、御
褒美に下りのスロープを与えられます。この下りの
風を切って走る爽快感。クーラーの冷気とは、比べ
ものにならない快適感、いや、自然との一体感に楽
しくなっちゃう自分に勇気が湧きます。
夕食のビールが特別に美味しいです。でも、最近
は、冷茶で十分になってきました。
地図を見るようになりました。新しいコースを作
り、それに挑戦するのが楽しい。
土地土地の名産を買って帰れる。天然の鮎・山女、
有機農法の野菜等など。
イッパイ発見がありますが、自動車のドライバー
は、自転車が軽車両であることを知っているのかと
思うことがあります。できるだけ、交通量の少ない
道路・時間帯を選んで、整備された道路を見つける
必要があります。
とにかく、自転車をこれから買う人は、安い物は
避けてください。予算はありましょうが思い切った
方がいいですよ・・・本当に違いますから、走りが
ビックリする程違います。
bicycleといっても、roadracer買っちゃった。
これが、恐るべし。lightしfast速い。
30km~50kmのサイクリングなんてへっち
ゃら・・・ありえない、高校まではチャリ通で鍛
えていたが、最近は、まったく自信がなかったの
に(笑)。
自家用車の有難味がわかります。
ecology lifeの実感が湧きます。
hearthlyになります。
ガソリン代金がうきます。
沢山の事に気がつきます・・・道路の凸凹、天
気の予測、等など。
自然の恵みを感じます・・・登ったら、必ず、御
褒美に下りのスロープを与えられます。この下りの
風を切って走る爽快感。クーラーの冷気とは、比べ
ものにならない快適感、いや、自然との一体感に楽
しくなっちゃう自分に勇気が湧きます。
夕食のビールが特別に美味しいです。でも、最近
は、冷茶で十分になってきました。
地図を見るようになりました。新しいコースを作
り、それに挑戦するのが楽しい。
土地土地の名産を買って帰れる。天然の鮎・山女、
有機農法の野菜等など。
イッパイ発見がありますが、自動車のドライバー
は、自転車が軽車両であることを知っているのかと
思うことがあります。できるだけ、交通量の少ない
道路・時間帯を選んで、整備された道路を見つける
必要があります。
とにかく、自転車をこれから買う人は、安い物は
避けてください。予算はありましょうが思い切った
方がいいですよ・・・本当に違いますから、走りが
ビックリする程違います。
2008年8月27日水曜日
Winglet.....by TOYOTA
toyota自動車は、1人乗りの立ち乗り型robot
「winglet」を開発し、1日に試作品を報道
陣に公開した。タイヤ上の踏み台に立ち、体を傾け
るだけで速度や方向を変えられる。今秋から実証実
験を始め、10年代初頭の実用化をめざす。
リチウムイオン電池とモーター2個を搭載し、成
人の肩幅並みの小型化を実現した。タイヤの間に付
いたセンサーで搭乗者の姿勢を検知し、前傾姿勢で
加速し、後ろに重心をかけると減速する。坂道も最
大角度20度まで上れ、その場で旋回もできる。最
高速度は時速6キロ。
ステアリング部分の長さが異なる3タイプがあり、
つかまったり、両手が自由になったり、安心走行や
スポーティーな走りが選べる。重量は9.9~12.
3キロ。家庭用コンセントで充電でき、1時間の充
電で5~10キロ走る。
米国生まれの電動立ち乗り二輪車「segway」
と比べると、重量は3分の1で、小回りのきく走り
ができるという。現行の道路交通法の下では公道は
走れないが、車に載せて運び、shoppingモール
やairportなどの大型施設内で移動手段として乗る使い
方を想定する。
トヨタは、人間の日常生活を支援する「pertner robot」
の開発を進め、07年12月には、座った人や物を
運ぶ「モビロ」を公開。wingletもその一環。
ソニーのロボット技術を昨年3月に取得し、自社技
術と組み合わせて開発を進めてきた。
今秋から中部国際空港(愛知県常滑市)、来年に
は複合商業施設のtressa Yokohama(横浜市)などで走
らせて、実証実験を進める。
「winglet」を開発し、1日に試作品を報道
陣に公開した。タイヤ上の踏み台に立ち、体を傾け
るだけで速度や方向を変えられる。今秋から実証実
験を始め、10年代初頭の実用化をめざす。
リチウムイオン電池とモーター2個を搭載し、成
人の肩幅並みの小型化を実現した。タイヤの間に付
いたセンサーで搭乗者の姿勢を検知し、前傾姿勢で
加速し、後ろに重心をかけると減速する。坂道も最
大角度20度まで上れ、その場で旋回もできる。最
高速度は時速6キロ。
ステアリング部分の長さが異なる3タイプがあり、
つかまったり、両手が自由になったり、安心走行や
スポーティーな走りが選べる。重量は9.9~12.
3キロ。家庭用コンセントで充電でき、1時間の充
電で5~10キロ走る。
米国生まれの電動立ち乗り二輪車「segway」
と比べると、重量は3分の1で、小回りのきく走り
ができるという。現行の道路交通法の下では公道は
走れないが、車に載せて運び、shoppingモール
やairportなどの大型施設内で移動手段として乗る使い
方を想定する。
トヨタは、人間の日常生活を支援する「pertner robot」
の開発を進め、07年12月には、座った人や物を
運ぶ「モビロ」を公開。wingletもその一環。
ソニーのロボット技術を昨年3月に取得し、自社技
術と組み合わせて開発を進めてきた。
今秋から中部国際空港(愛知県常滑市)、来年に
は複合商業施設のtressa Yokohama(横浜市)などで走
らせて、実証実験を進める。
2008年8月26日火曜日
larninng from ...meal during the war
千切り大根めし、いもがら入りだご塩汁、おから、
サツマイモのつるのいため物、ところてん――の5品。
戦中戦後のmealを再現した「終戦定食」(300円)
が、宮崎市の宮交シティの従業員食堂で一般向けに出
された。同社が社員向けに提供を始めてから30年続
く恒例の行事。この日用意した約100食は、2時間
ほどで完売した。
味付けは塩だけ。記者も実際に食べてみた。サツマ
イモのつるのいため物やおから、ところてんはどれも
素朴な薄味。おかずには物足りない感じがする。大根
めしは、麦ご飯にサツマイモなどが入っていて、はし
が進んだ。濃い味つけの食事に慣れているせいか、素
朴な味の定食は新鮮でおいしいとも感じた。ただ、毎
日だとすぐに飽きてしまいそう。
「ずっと前から食べたかった」と話すのは、妻(6
5)と娘(38)、孫(1)を伴って来たお客さん
(69)。だご塩汁を口にして、「なつかしい味」と
一言。当時、川南町にいたころの食事を思いだし、
「食べられれば幸せだった」。
同町には空挺(くうてい)落下傘部隊がいたため空
襲が激しく、schoolにもほとんど通えなかったという。
「世界中では今も戦争やテロなどが起き、心が痛む」
と話した。
終戦定食は「1年に1回でも戦争について考えるき
っかけになれば」と、同社の社員向けに78年に始め
た企画。88年には一般客にも提供するようになった。
当時も国際法で無差別爆撃禁止はうたわれていた。
しかるに、主要都市に対する焼夷弾爆撃や広島・長崎
への原子爆弾投下は行われた。このことにより、日本
民族の滅亡の危機があったことは事実である。時に米
国の爆撃機搭乗員の斬首があった訳であるが、その指
示に問題があったか否かを冷静に判断できる今にして
語るべきであろう。今後に生かせるなら、徹底的に語
るべきである。もちろん、無差別爆撃の悲劇について
も徹底的に糾弾すべきである。当時の質素な食事を思
い起こす度に、悔やまれてならない軍事行動が明白に
語り継がれなければならない。
サツマイモのつるのいため物、ところてん――の5品。
戦中戦後のmealを再現した「終戦定食」(300円)
が、宮崎市の宮交シティの従業員食堂で一般向けに出
された。同社が社員向けに提供を始めてから30年続
く恒例の行事。この日用意した約100食は、2時間
ほどで完売した。
味付けは塩だけ。記者も実際に食べてみた。サツマ
イモのつるのいため物やおから、ところてんはどれも
素朴な薄味。おかずには物足りない感じがする。大根
めしは、麦ご飯にサツマイモなどが入っていて、はし
が進んだ。濃い味つけの食事に慣れているせいか、素
朴な味の定食は新鮮でおいしいとも感じた。ただ、毎
日だとすぐに飽きてしまいそう。
「ずっと前から食べたかった」と話すのは、妻(6
5)と娘(38)、孫(1)を伴って来たお客さん
(69)。だご塩汁を口にして、「なつかしい味」と
一言。当時、川南町にいたころの食事を思いだし、
「食べられれば幸せだった」。
同町には空挺(くうてい)落下傘部隊がいたため空
襲が激しく、schoolにもほとんど通えなかったという。
「世界中では今も戦争やテロなどが起き、心が痛む」
と話した。
終戦定食は「1年に1回でも戦争について考えるき
っかけになれば」と、同社の社員向けに78年に始め
た企画。88年には一般客にも提供するようになった。
当時も国際法で無差別爆撃禁止はうたわれていた。
しかるに、主要都市に対する焼夷弾爆撃や広島・長崎
への原子爆弾投下は行われた。このことにより、日本
民族の滅亡の危機があったことは事実である。時に米
国の爆撃機搭乗員の斬首があった訳であるが、その指
示に問題があったか否かを冷静に判断できる今にして
語るべきであろう。今後に生かせるなら、徹底的に語
るべきである。もちろん、無差別爆撃の悲劇について
も徹底的に糾弾すべきである。当時の質素な食事を思
い起こす度に、悔やまれてならない軍事行動が明白に
語り継がれなければならない。
2008年8月25日月曜日
Point system....Japanese food
domestic foodを買うとpointがたまり、国産農産物など
と交換ができる特典制度の創設に農林水産省が乗り出す。
試験的な事業費を09年度予算の概算要求に盛り込む。
安全面から消費者に国産志向が高まっているものの、国
産品は総じてimportation品より価格が高い。消費拡大を後押し
し、食糧自給率の向上を目指す。
スーパーで国産の肉や魚を買ったり、the food service industry
外食chain storeで国産材料の比率が高い食事を選んだり
した場合、ポイントを提供。たまると地元産の農産物と
交換できたり、割引を受けられたりする制度を目指す。
農村活性化も狙った民宿の宿泊料割引サービスなどの案
もある。
農水省によれば、大手流通・外食チェーンが関心を示
している、という。企業側も、売り上げが伸びるメリッ
トを見込んでいるとみられる。09年度から数社に委託
し実験事業を始め、弁当チェーンやコンビニエンススト
アにも参加を呼びかける方針。農水省は、商品交換や割
引にかかる費用を企業が負担する仕組みを構築し、大規
模な制度に育てたい、としている。
日本の食糧自給率は06年度は13年ぶりの40%割
れとなったが、07年度は小麦高騰の反動でコメの消費
量が伸び、40%に戻った。農水省は「この傾向を少し
でも持続できるようにしたい」(食料安全保障課)とし
ている。
と交換ができる特典制度の創設に農林水産省が乗り出す。
試験的な事業費を09年度予算の概算要求に盛り込む。
安全面から消費者に国産志向が高まっているものの、国
産品は総じてimportation品より価格が高い。消費拡大を後押し
し、食糧自給率の向上を目指す。
スーパーで国産の肉や魚を買ったり、the food service industry
外食chain storeで国産材料の比率が高い食事を選んだり
した場合、ポイントを提供。たまると地元産の農産物と
交換できたり、割引を受けられたりする制度を目指す。
農村活性化も狙った民宿の宿泊料割引サービスなどの案
もある。
農水省によれば、大手流通・外食チェーンが関心を示
している、という。企業側も、売り上げが伸びるメリッ
トを見込んでいるとみられる。09年度から数社に委託
し実験事業を始め、弁当チェーンやコンビニエンススト
アにも参加を呼びかける方針。農水省は、商品交換や割
引にかかる費用を企業が負担する仕組みを構築し、大規
模な制度に育てたい、としている。
日本の食糧自給率は06年度は13年ぶりの40%割
れとなったが、07年度は小麦高騰の反動でコメの消費
量が伸び、40%に戻った。農水省は「この傾向を少し
でも持続できるようにしたい」(食料安全保障課)とし
ている。
traveling abroad.....
海外旅行の満足度1位はインドネシア――。国土交通
省が日本人旅行者の多い15の国・地域を対象に旅行者
の意識調査をしたところ、こんな結果が出た。旅行前の
期待度と旅行後の満足度の差を比べると、「期待外れ感
」が最も強かったのはフランスと中国だった。
過去3年間に海外旅行をした3千人にアンケートし、
期待度と満足度を100点満点で答えてもらった。
旅行後の満足度では、バリ島が人気のインドネシアが
1位で、ドイツ、米ハワイと続いた。インドネシアは0
5年10月に起きたバリ島の爆弾テロ以降人気が落ちて
いたが、テロ組織の幹部が相次いで逮捕され、バリ島―
中部空港間の直行便が6月に再開されるなど人気が回復
している。
期待度と満足度の比較では、フィリピンとカナダは満
足度が上回り、インドネシアや豪州、米国本土などもほ
ぼ「期待通り」だった。フランスは期待度は1位だった
が、満足度との差が激しかった。中国はホテルへの不満
度が高いのが特徴という。
大手trip社のJTB(東京)は「バリはresort人気
が高く、a beauty-treatment clinicやmassage、雑貨、ethniccookingな
ど女性が好むものがそろい、一方で物価が安く、『お得
感』が満足度に反映されている」という。フランスなど
欧州諸国は、質の高いサービスが得られるものの、物価
が高いため「これだけお金を払えば当然」という感触が
生まれ、満足度に影響しているのではとみる。
福岡県によると、昨年、福岡空港から出国した日本人
の渡航先は(1)中国(17万2300人)(2)韓国
(17万2千人)(3)台湾(10万2500人)(4)
タイ(5万5千人)(5)シンガポール(5万1千人)
で、アジア人気が高かった。
JTBが予約状況などからまとめた今夏分の調査では、
7月15日から8月31日までに海外旅行に行く人は、
通常の航空運賃とは別に徴収している国際線の燃油サー
チャージ(特別付加運賃)など費用が高くなったことな
どから、全体では225万4千人で前年比7%減の見込
み。目的地別では(1)韓国(28万8千人)(2)中
国(24万人)(3)ハワイ(20万6千人)の順に多
い。近場で割安感のある韓国やグアム、サイパンは微増
し、人気が高まっているインドネシアと香港は前年並み
だ。大地震やギョーザ事件があった中国は北京五輪があ
ったものの同36.6%の大幅減とみられているそうだ。
そんな中、全日本空輸は18日、日本航空は21日、
サーチャージを10月発券分から値上げする、と相次い
で発表した。燃油サーチャージの上昇について日本旅行
業協会(東京)は「過去にあったテロやSARSの時ほ
どではないが、family tripを中心に影響が出ている」とい
うことだ。
省が日本人旅行者の多い15の国・地域を対象に旅行者
の意識調査をしたところ、こんな結果が出た。旅行前の
期待度と旅行後の満足度の差を比べると、「期待外れ感
」が最も強かったのはフランスと中国だった。
過去3年間に海外旅行をした3千人にアンケートし、
期待度と満足度を100点満点で答えてもらった。
旅行後の満足度では、バリ島が人気のインドネシアが
1位で、ドイツ、米ハワイと続いた。インドネシアは0
5年10月に起きたバリ島の爆弾テロ以降人気が落ちて
いたが、テロ組織の幹部が相次いで逮捕され、バリ島―
中部空港間の直行便が6月に再開されるなど人気が回復
している。
期待度と満足度の比較では、フィリピンとカナダは満
足度が上回り、インドネシアや豪州、米国本土などもほ
ぼ「期待通り」だった。フランスは期待度は1位だった
が、満足度との差が激しかった。中国はホテルへの不満
度が高いのが特徴という。
大手trip社のJTB(東京)は「バリはresort人気
が高く、a beauty-treatment clinicやmassage、雑貨、ethniccookingな
ど女性が好むものがそろい、一方で物価が安く、『お得
感』が満足度に反映されている」という。フランスなど
欧州諸国は、質の高いサービスが得られるものの、物価
が高いため「これだけお金を払えば当然」という感触が
生まれ、満足度に影響しているのではとみる。
福岡県によると、昨年、福岡空港から出国した日本人
の渡航先は(1)中国(17万2300人)(2)韓国
(17万2千人)(3)台湾(10万2500人)(4)
タイ(5万5千人)(5)シンガポール(5万1千人)
で、アジア人気が高かった。
JTBが予約状況などからまとめた今夏分の調査では、
7月15日から8月31日までに海外旅行に行く人は、
通常の航空運賃とは別に徴収している国際線の燃油サー
チャージ(特別付加運賃)など費用が高くなったことな
どから、全体では225万4千人で前年比7%減の見込
み。目的地別では(1)韓国(28万8千人)(2)中
国(24万人)(3)ハワイ(20万6千人)の順に多
い。近場で割安感のある韓国やグアム、サイパンは微増
し、人気が高まっているインドネシアと香港は前年並み
だ。大地震やギョーザ事件があった中国は北京五輪があ
ったものの同36.6%の大幅減とみられているそうだ。
そんな中、全日本空輸は18日、日本航空は21日、
サーチャージを10月発券分から値上げする、と相次い
で発表した。燃油サーチャージの上昇について日本旅行
業協会(東京)は「過去にあったテロやSARSの時ほ
どではないが、family tripを中心に影響が出ている」とい
うことだ。
2008年8月24日日曜日
began a new project....Sakuradamon
幕末に水戸藩士らが起こした「桜田門外の変」の映画化
を応援する動きが本格化している。製作会社も決まり、撮
影開始は09年春。ロケ地を地元が提案する企画などで街
おこしをしようと支援団体が結成され、住民を巻き込んだ
映画づくりを目指す。明治維新に向かう歴史を加速した「
事件」を通じて、地域に元気を取り戻そうと意気込んでい
るようだ。
06年1月、地域おこしに関心のある4~5人が水戸市
の居酒屋に集まったのがきっかけだった。09年が水戸開
藩400周年にあたることも考え、桜田門外の変の映画化
が決まっていった。
「桜田門外の変は誇りを持って語れる歴史なのに、郷土
教育でも敬遠して扱わない。地元だからこそ、もっと正面
から取り上げていい」。支援団体の事務局長はテーマ選定
の理由を語る。
まもなく、実際の映画製作は都内の製作会社が担うこと
に決まった。原作は吉村昭さんの歴史小説「桜田門外ノ変」
になった。脚本は映画「陰陽師」で脚本を手がけた江良至
さん。10年正月ごろ、全国公開の予定である。
具体的な取り組みを記したスケジュール表には約80の
事業がずらりと並ぶ。
例えば、来月からは「ロケ地推薦コンクール」が始まる。
吉村昭さんの原作を読んで、「この場面では我が家の裏山
をロケ地に使ってほしい」などと売り込む企画。候補地は、
支援の会が製作会社に推薦する。
ほかにも、10月18日には「水戸八景ツーリング」を
企画。水戸藩主徳川斉昭が選定した偕楽園など水戸市近辺
の名所8地点を自転車でめぐるイベントだ。郷土史家によ
る講演会や史跡巡りも予定されている。
これらの事業は、内閣府の「地方の元気再生事業」に選
ばれ、約2400万円の補助を受けることも決まった。
◇
〈桜田門外の変〉 1860年3月、「安政の大獄」で
水戸老公・徳川斉昭に永蟄居(ちっきょ)(終身謹慎処分)
を命じた江戸幕府の大老・井伊直弼に不満を募らせた水戸
浪士らが、江戸城桜田門外で井伊のかごを襲撃、暗殺した
事件。以後の倒幕運動につながったと影響を指摘する説は
多い。
を応援する動きが本格化している。製作会社も決まり、撮
影開始は09年春。ロケ地を地元が提案する企画などで街
おこしをしようと支援団体が結成され、住民を巻き込んだ
映画づくりを目指す。明治維新に向かう歴史を加速した「
事件」を通じて、地域に元気を取り戻そうと意気込んでい
るようだ。
06年1月、地域おこしに関心のある4~5人が水戸市
の居酒屋に集まったのがきっかけだった。09年が水戸開
藩400周年にあたることも考え、桜田門外の変の映画化
が決まっていった。
「桜田門外の変は誇りを持って語れる歴史なのに、郷土
教育でも敬遠して扱わない。地元だからこそ、もっと正面
から取り上げていい」。支援団体の事務局長はテーマ選定
の理由を語る。
まもなく、実際の映画製作は都内の製作会社が担うこと
に決まった。原作は吉村昭さんの歴史小説「桜田門外ノ変」
になった。脚本は映画「陰陽師」で脚本を手がけた江良至
さん。10年正月ごろ、全国公開の予定である。
具体的な取り組みを記したスケジュール表には約80の
事業がずらりと並ぶ。
例えば、来月からは「ロケ地推薦コンクール」が始まる。
吉村昭さんの原作を読んで、「この場面では我が家の裏山
をロケ地に使ってほしい」などと売り込む企画。候補地は、
支援の会が製作会社に推薦する。
ほかにも、10月18日には「水戸八景ツーリング」を
企画。水戸藩主徳川斉昭が選定した偕楽園など水戸市近辺
の名所8地点を自転車でめぐるイベントだ。郷土史家によ
る講演会や史跡巡りも予定されている。
これらの事業は、内閣府の「地方の元気再生事業」に選
ばれ、約2400万円の補助を受けることも決まった。
◇
〈桜田門外の変〉 1860年3月、「安政の大獄」で
水戸老公・徳川斉昭に永蟄居(ちっきょ)(終身謹慎処分)
を命じた江戸幕府の大老・井伊直弼に不満を募らせた水戸
浪士らが、江戸城桜田門外で井伊のかごを襲撃、暗殺した
事件。以後の倒幕運動につながったと影響を指摘する説は
多い。
2008年8月23日土曜日
Hegemony system......6
▼ドイツとイタリアの建国を予約する
ウィーン会議では、仏がいずれナポレオンに
代わる大将軍を得て再び欧州征服を試みるとい
う懸念から、仏周辺の国々が征服されにくい新
体制を持つように定められた。スイスは永世中
立国として承認され、仏から侵攻されない立場
を得た。いくつもの小国に分かれていた今のイ
タリアとドイツの地域には、イタリアとドイツ
を統一建国としてすることが予約的に了承され、
両地域では統一国家建設の運動がさかんになっ
た。独伊が建国されることで、仏は両地域に再
侵略できなくなり、欧州大陸は同じぐらいの大
きさの国々が割拠する均衡状態に近づいた。独
伊の建国は、英の均衡戦略によって誘導された
ものだった。
仏については、英が主導する4大国がナポレ
オンを追放した後、ブルボン王家を迎えて王政
復古させたが、これは事実上、英主導の傀儡政
権だった。仏はその後、現在に至るまで、基本
的に、英に対して劣位的な、持ちつ持たれつの
関係にある。英の中枢では、英の国益だけを重
視する勢力と、もっと国際的な投資利益を重視
する勢力が暗闘しているが、国際勢力はフラン
スに反英的な言動をさせて国際社会を動かすよ
うなことを、たびたび行っている。仏は、英の
好敵手を演じることで、英にとっても意味のあ
る存在であり続けている。
フランス革命自体、その少し前に起きたアメ
リカの独立とともに、イギリスの資本家が国際
投資環境の実験的な整備のために誘発したので
はないかとも思える。フランス革命によって世
界で初めて確立した国民国家体制(共和制民主
主義)は、戦争に強いだけでなく、政府の財政
面でも、国民の愛国心に基づく納税systemの
確立につながり、advanced国家財政制度となっ
た。それまでの欧州諸国は、土地に縛られた農
民が、いやいやながら地主に収穫の一部をfor payment of a tax
制度で、農民の生産性は上がらず、国家の税収
は増えにくかった。
フランス革命を発端に、世界各地で起きた国
民国家革命は、人々を、喜んで国家のために金
を出し、国土防衛戦争のために命を投げ出させ
る「国民」という名のカルト信者に仕立てた。
権力者としては、国民に愛国心を植え付け、必
要に応じて周辺国の脅威を扇動するだけで、財
政と兵力が手に入る。国民国家にとって教育と
mass communicationが重要なのは、このカルト制度を維持
発展させる「洗脳機能」を担っているからだ。
国民国家は、最も効率の良い戦争装置となっ
た。どの国の為政者も、国民国家のシステムを
導入したがった。王侯貴族は、自分たちが辞め
たくないので立憲君主制と国民国家制を抱き合
わせる形にした。また「国民」を形成するほど
の結束力が人々の間になかった中国やロシアな
どでは、一党独裁で「共産主義の理想」を実現
するという共同幻想を軸に「国民」の代わりに
「人民」の自覚を持たせ、いかがわしい「民主
集中制」であって民主主義ではないものの、人
々の愛国心や貢献心を煽って頑張らせる点では
国民国家に劣らない「社会主義国」が作られた。
フランス革命は、産業革命と同時期に起きた
が、この時期的な一致も重要だ。産業革命によ
って、人々の大半が従事のすべき仕事は、農業
から工業に代わった。ここにフランス革命を筆
頭とする国民国家革命、もしくは上からの政治
改革・農奴解放が重なることで、農村の土地に
縛られていた農民は、都会に流入して労働者と
なり、工業生産活動と納税を行う市民となり、
産業革命が順調に進んで経済発展した国では、
消費者にもなった。capital家としては、貧農
が国民の大半を占める国ではなく、中産階級に
なるかもしれない労働者市民が大半の国に投資
した方が儲かる。国民国家は、国民の納税義務
感が強いのでfinancial破綻しにくく、この面でも好
都合だ。
ナポレオンが英征服を企てた点では、フラン
ス革命は英にとって迷惑だった。だが、フラン
ス革命を皮切りに、欧州各国が政治体制を国民
国家型(主に立憲君主制)に転換し、産業革命
が欧州全体に拡大していく土壌を作り、英の資
本家が海外investmentしてmake a profit続けることを可能にした点では、フランス革命は良いことだった。
英を含む欧州各国は、キリスト教世界として
同質のcluterを持っていたので、英発祥の産業革
命と、仏発祥の国民革命は、ロシアまでの全欧
州に拡大した。その中で、ナポレオンを打ち負
かして欧州最強の状態を維持した後の英は、欧
州大陸諸国が団結せぬよう、また一国が抜きん
出て強くならないよう、拮抗した均衡状態を維
持する均衡戦略を、外交的な策略を駆使して展
開し、1815年のウィーン会議から1914
年の第一次大戦までの覇権体制(パックス・ブ
リタニカ)を実現した。
英覇権体制は、欧州大陸諸国の一つであるド
イツが、後発の産業革命によって1890年代
に英自身を上回る産業力・軍事力を持つにいた
り、独を封じ込めようとした英の策略が失敗し
て第一次世界大戦が起きたことで終焉した。
ウィーン会議では、仏がいずれナポレオンに
代わる大将軍を得て再び欧州征服を試みるとい
う懸念から、仏周辺の国々が征服されにくい新
体制を持つように定められた。スイスは永世中
立国として承認され、仏から侵攻されない立場
を得た。いくつもの小国に分かれていた今のイ
タリアとドイツの地域には、イタリアとドイツ
を統一建国としてすることが予約的に了承され、
両地域では統一国家建設の運動がさかんになっ
た。独伊が建国されることで、仏は両地域に再
侵略できなくなり、欧州大陸は同じぐらいの大
きさの国々が割拠する均衡状態に近づいた。独
伊の建国は、英の均衡戦略によって誘導された
ものだった。
仏については、英が主導する4大国がナポレ
オンを追放した後、ブルボン王家を迎えて王政
復古させたが、これは事実上、英主導の傀儡政
権だった。仏はその後、現在に至るまで、基本
的に、英に対して劣位的な、持ちつ持たれつの
関係にある。英の中枢では、英の国益だけを重
視する勢力と、もっと国際的な投資利益を重視
する勢力が暗闘しているが、国際勢力はフラン
スに反英的な言動をさせて国際社会を動かすよ
うなことを、たびたび行っている。仏は、英の
好敵手を演じることで、英にとっても意味のあ
る存在であり続けている。
フランス革命自体、その少し前に起きたアメ
リカの独立とともに、イギリスの資本家が国際
投資環境の実験的な整備のために誘発したので
はないかとも思える。フランス革命によって世
界で初めて確立した国民国家体制(共和制民主
主義)は、戦争に強いだけでなく、政府の財政
面でも、国民の愛国心に基づく納税systemの
確立につながり、advanced国家財政制度となっ
た。それまでの欧州諸国は、土地に縛られた農
民が、いやいやながら地主に収穫の一部をfor payment of a tax
制度で、農民の生産性は上がらず、国家の税収
は増えにくかった。
フランス革命を発端に、世界各地で起きた国
民国家革命は、人々を、喜んで国家のために金
を出し、国土防衛戦争のために命を投げ出させ
る「国民」という名のカルト信者に仕立てた。
権力者としては、国民に愛国心を植え付け、必
要に応じて周辺国の脅威を扇動するだけで、財
政と兵力が手に入る。国民国家にとって教育と
mass communicationが重要なのは、このカルト制度を維持
発展させる「洗脳機能」を担っているからだ。
国民国家は、最も効率の良い戦争装置となっ
た。どの国の為政者も、国民国家のシステムを
導入したがった。王侯貴族は、自分たちが辞め
たくないので立憲君主制と国民国家制を抱き合
わせる形にした。また「国民」を形成するほど
の結束力が人々の間になかった中国やロシアな
どでは、一党独裁で「共産主義の理想」を実現
するという共同幻想を軸に「国民」の代わりに
「人民」の自覚を持たせ、いかがわしい「民主
集中制」であって民主主義ではないものの、人
々の愛国心や貢献心を煽って頑張らせる点では
国民国家に劣らない「社会主義国」が作られた。
フランス革命は、産業革命と同時期に起きた
が、この時期的な一致も重要だ。産業革命によ
って、人々の大半が従事のすべき仕事は、農業
から工業に代わった。ここにフランス革命を筆
頭とする国民国家革命、もしくは上からの政治
改革・農奴解放が重なることで、農村の土地に
縛られていた農民は、都会に流入して労働者と
なり、工業生産活動と納税を行う市民となり、
産業革命が順調に進んで経済発展した国では、
消費者にもなった。capital家としては、貧農
が国民の大半を占める国ではなく、中産階級に
なるかもしれない労働者市民が大半の国に投資
した方が儲かる。国民国家は、国民の納税義務
感が強いのでfinancial破綻しにくく、この面でも好
都合だ。
ナポレオンが英征服を企てた点では、フラン
ス革命は英にとって迷惑だった。だが、フラン
ス革命を皮切りに、欧州各国が政治体制を国民
国家型(主に立憲君主制)に転換し、産業革命
が欧州全体に拡大していく土壌を作り、英の資
本家が海外investmentしてmake a profit続けることを可能にした点では、フランス革命は良いことだった。
英を含む欧州各国は、キリスト教世界として
同質のcluterを持っていたので、英発祥の産業革
命と、仏発祥の国民革命は、ロシアまでの全欧
州に拡大した。その中で、ナポレオンを打ち負
かして欧州最強の状態を維持した後の英は、欧
州大陸諸国が団結せぬよう、また一国が抜きん
出て強くならないよう、拮抗した均衡状態を維
持する均衡戦略を、外交的な策略を駆使して展
開し、1815年のウィーン会議から1914
年の第一次大戦までの覇権体制(パックス・ブ
リタニカ)を実現した。
英覇権体制は、欧州大陸諸国の一つであるド
イツが、後発の産業革命によって1890年代
に英自身を上回る産業力・軍事力を持つにいた
り、独を封じ込めようとした英の策略が失敗し
て第一次世界大戦が起きたことで終焉した。
2008年8月22日金曜日
Hegemony system......5
▼フランス革命と英の均衡戦略
Europeにおける英のHegemoney systemの基本方針は、すでに
述べたような(1)英の海上貿易の利権を守ること
(2)欧州内では覇権的な隠然支配体制を組む一方、
欧州外の世界に対しては植民地支配によって、宗主
国としての経済利権を享受する、という2つの方針
のほかにもう一つ(3)欧州内でどこかの国が圧倒
的に強くなって英を打ち負かさぬよう、複数の国が
同盟して英を潰しにかからぬよう、欧州大陸諸国を
常に拮抗した力関係の中に置いておくという「均衡
戦略」(balance of power)の方針があった。
英が均衡戦略を必要とした直接的な理由は「フラ
ンス革命」だった。英における政治のdemocratizationは、1
3世紀のマグナカルタ以来の流れとしてゆっくり進
み、17世紀にピューリタン革命によって共和制が
敷かれたものの11年後には王政が復活し、その後
は立憲君主制の政治が定着した。一方フランスの民
主化は、暴力的な革命によって王政が1792年に
倒され、国民の9割を占める農民が土地に縛られて
いた状態から劇的にliberationされて市民となり、愛国心
に満ちた状態にいた。
混乱の中、将軍から独裁的指導者、皇帝となった
ナポレオンは、仏国民の愛国心の高揚を背景に、当
時として画期的な国民皆兵の軍隊を築き、市民革命
(国民国家革命)を全欧州に拡大すべく、欧州征服
のナポレオン戦争を開始した。当時の欧州諸国の戦
争は、moneyを出して傭兵を集めたり、地主に税金の代
わりに領民を兵士として出させたりして戦うもので、
巨額の戦費がかかり、兵士の士気は低かった。
これに比べ、愛国心に満ちた仏国民は、進んで国
のために兵士になって死に、兵士にならない者は喜
んで税金を払って戦費を負担した。ナポレオンが指
揮する仏軍は圧倒的に強く、10年ほどの間に、今
のスペイン、オランダ、イタリア、ドイツ、スイス、
ポーランドなどにあたる地域を征服した。
仏以外の欧州諸国の王侯aristocracyはFrance革命の進
展を見て、いずれ革命が自国にも波及すると懸念し、
イギリス、プロシア、オーストリア、ロシアの4カ
国が反仏同盟を組んで仏を潰しにかかり、これがナ
ポレオン戦争に発展した。当初は優勢だったナポレ
オンは、1812年にロシア遠征に失敗した後、不
利になり、1814年に4カ国連合軍に敗北した。
その後、戦後の欧州の体制を作るためにウィーン会
議が開かれた。この会議はオーストリアの宰相メッ
テルニヒの主催だったが、実際に会議を誘導したの
はイギリスで、欧州大陸の諸大国どうしを拮抗した
力関係の中に置くことで、島国の英が漁夫の利を得
られる新政治体制が組まれた。
Europeにおける英のHegemoney systemの基本方針は、すでに
述べたような(1)英の海上貿易の利権を守ること
(2)欧州内では覇権的な隠然支配体制を組む一方、
欧州外の世界に対しては植民地支配によって、宗主
国としての経済利権を享受する、という2つの方針
のほかにもう一つ(3)欧州内でどこかの国が圧倒
的に強くなって英を打ち負かさぬよう、複数の国が
同盟して英を潰しにかからぬよう、欧州大陸諸国を
常に拮抗した力関係の中に置いておくという「均衡
戦略」(balance of power)の方針があった。
英が均衡戦略を必要とした直接的な理由は「フラ
ンス革命」だった。英における政治のdemocratizationは、1
3世紀のマグナカルタ以来の流れとしてゆっくり進
み、17世紀にピューリタン革命によって共和制が
敷かれたものの11年後には王政が復活し、その後
は立憲君主制の政治が定着した。一方フランスの民
主化は、暴力的な革命によって王政が1792年に
倒され、国民の9割を占める農民が土地に縛られて
いた状態から劇的にliberationされて市民となり、愛国心
に満ちた状態にいた。
混乱の中、将軍から独裁的指導者、皇帝となった
ナポレオンは、仏国民の愛国心の高揚を背景に、当
時として画期的な国民皆兵の軍隊を築き、市民革命
(国民国家革命)を全欧州に拡大すべく、欧州征服
のナポレオン戦争を開始した。当時の欧州諸国の戦
争は、moneyを出して傭兵を集めたり、地主に税金の代
わりに領民を兵士として出させたりして戦うもので、
巨額の戦費がかかり、兵士の士気は低かった。
これに比べ、愛国心に満ちた仏国民は、進んで国
のために兵士になって死に、兵士にならない者は喜
んで税金を払って戦費を負担した。ナポレオンが指
揮する仏軍は圧倒的に強く、10年ほどの間に、今
のスペイン、オランダ、イタリア、ドイツ、スイス、
ポーランドなどにあたる地域を征服した。
仏以外の欧州諸国の王侯aristocracyはFrance革命の進
展を見て、いずれ革命が自国にも波及すると懸念し、
イギリス、プロシア、オーストリア、ロシアの4カ
国が反仏同盟を組んで仏を潰しにかかり、これがナ
ポレオン戦争に発展した。当初は優勢だったナポレ
オンは、1812年にロシア遠征に失敗した後、不
利になり、1814年に4カ国連合軍に敗北した。
その後、戦後の欧州の体制を作るためにウィーン会
議が開かれた。この会議はオーストリアの宰相メッ
テルニヒの主催だったが、実際に会議を誘導したの
はイギリスで、欧州大陸の諸大国どうしを拮抗した
力関係の中に置くことで、島国の英が漁夫の利を得
られる新政治体制が組まれた。
2008年8月21日木曜日
Hegemony system......4
▼オランダから貿易権を奪って大帝国に
そもそも英が強国となれたのは、海上ルートを
使ったtradeによる儲けを蓄積したからだが、海上
貿易によってmake a profit大国になるやり方は、オラン
ダが先にやっていた。
オランダは、1581年にスペインからindependenceし
た国で、もともとスペインがreclamationしたinternational航路を
活用し、カトリック教国だったスペインが嫌った
プロテスタントやユダヤ人を多く受け入れ、中世
から地中海貿易で活躍していたユダヤ人のcommerce skill
を生かし、船舶の高速化など技術開発にも積極
的で、世界最初のfreedom貿易共和国として大発展し
た。オランダは民間企業が貿易を手がけたが、英
仏西など他の諸国の貿易は国営だった。オランダ
の東インド会社は、200年間の平均株主配当率
が18%だった。
(欧米の歴史家や記者にはユダヤ人が多いが、彼
らは、ユダヤ人が成功させた自由貿易共和国オラ
ンダを、ことさら高く評価する傾向がある。ただ
し、いつものとおり、彼らの記述は「ユダヤ人」
という言葉を最小限にしか使わない)
オランダは、アジアではジャワ島、台湾(台南)、
長崎など、北米ではニューヨークの前進であるニ
ューアムステルダム(ハドソン川のfur貿易の集
積地)などを、寄港地として持っていた。ニュー
ヨークの「Wall Street」の名称は、ニューアムス
テルダムの城壁(ウォール)に沿った道という意
味である。日本の徳川幕府が、鎖国に際し、欧州
諸国の中で唯一のa business deal相手として、植民地野心が
強いスペインなどではなく、領土野心の少ない貿
易共和国のオランダを選んだのは、徳川家が世界
情勢をかなり理解していたことを示している。
英蘭が相次いで東インド会社を設立し、対アジ
ア貿易を強化し始めた1600年には、まだ欧州
とアジアとの貿易の4分の3は、中東経由の陸路
だった。しかし100年後の1700年には、ア
ジア交易のほとんどは、英蘭の船舶によるものに
なった。100年で世界貿易の主役が交代し、中
東の没落が始まった。
イギリスは、1588年にスペイン無敵艦隊を
破り、欧州最強の海軍力を持って植民地拡大を加
速したが、同時にオランダのやり方をまねて貿易
のprofitsを増やし、その上で1660年に航海条例
を定め、オランダ船を筆頭とする他国船を排除し
た。
それまでロンドンの港には、英の商船より蘭の
商船の方が多く入港し、蘭商船の総数は、英仏西
3カ国の商船の合計数より多かった。しかし、英
の航海条例など、英仏が組んで自由貿易体制をや
めて保護貿易に移行した。これを不満とする蘭は、
英と戦争したが負け、ニューアムステルダムを英
に奪われ、海軍力を背景に貿易量を急増させた英
の影で、蘭は国力を落とした。
・・・・なるほど、ここまで調べれば興味深いと
思います。
そもそも英が強国となれたのは、海上ルートを
使ったtradeによる儲けを蓄積したからだが、海上
貿易によってmake a profit大国になるやり方は、オラン
ダが先にやっていた。
オランダは、1581年にスペインからindependenceし
た国で、もともとスペインがreclamationしたinternational航路を
活用し、カトリック教国だったスペインが嫌った
プロテスタントやユダヤ人を多く受け入れ、中世
から地中海貿易で活躍していたユダヤ人のcommerce skill
を生かし、船舶の高速化など技術開発にも積極
的で、世界最初のfreedom貿易共和国として大発展し
た。オランダは民間企業が貿易を手がけたが、英
仏西など他の諸国の貿易は国営だった。オランダ
の東インド会社は、200年間の平均株主配当率
が18%だった。
(欧米の歴史家や記者にはユダヤ人が多いが、彼
らは、ユダヤ人が成功させた自由貿易共和国オラ
ンダを、ことさら高く評価する傾向がある。ただ
し、いつものとおり、彼らの記述は「ユダヤ人」
という言葉を最小限にしか使わない)
オランダは、アジアではジャワ島、台湾(台南)、
長崎など、北米ではニューヨークの前進であるニ
ューアムステルダム(ハドソン川のfur貿易の集
積地)などを、寄港地として持っていた。ニュー
ヨークの「Wall Street」の名称は、ニューアムス
テルダムの城壁(ウォール)に沿った道という意
味である。日本の徳川幕府が、鎖国に際し、欧州
諸国の中で唯一のa business deal相手として、植民地野心が
強いスペインなどではなく、領土野心の少ない貿
易共和国のオランダを選んだのは、徳川家が世界
情勢をかなり理解していたことを示している。
英蘭が相次いで東インド会社を設立し、対アジ
ア貿易を強化し始めた1600年には、まだ欧州
とアジアとの貿易の4分の3は、中東経由の陸路
だった。しかし100年後の1700年には、ア
ジア交易のほとんどは、英蘭の船舶によるものに
なった。100年で世界貿易の主役が交代し、中
東の没落が始まった。
イギリスは、1588年にスペイン無敵艦隊を
破り、欧州最強の海軍力を持って植民地拡大を加
速したが、同時にオランダのやり方をまねて貿易
のprofitsを増やし、その上で1660年に航海条例
を定め、オランダ船を筆頭とする他国船を排除し
た。
それまでロンドンの港には、英の商船より蘭の
商船の方が多く入港し、蘭商船の総数は、英仏西
3カ国の商船の合計数より多かった。しかし、英
の航海条例など、英仏が組んで自由貿易体制をや
めて保護貿易に移行した。これを不満とする蘭は、
英と戦争したが負け、ニューアムステルダムを英
に奪われ、海軍力を背景に貿易量を急増させた英
の影で、蘭は国力を落とした。
・・・・なるほど、ここまで調べれば興味深いと
思います。
2008年8月20日水曜日
Hegemony system......3
▼産業革命が世界覇権につながった
人類史上、初めて世界的な覇権を構築した
のはイギリスである。1815年にナポレオ
ンを破ってから、1914年に第一次大戦が
始まるまでが、イギリスの覇権期(パックス
・ブリタニカ)だった。
イギリスが世界覇権を初めて構築できた主
因は、1780年代から産業革命を引き起こ
し、それまで馬力や人力、水力などしかなか
った動力の分野に、蒸気機関やガソリンエン
ジンをもたらし、汽船や鉄道などを開発し、
交通の所要時間の面で世界を縮小させたから
である。産業革命前の世界は、中国から欧州
に行くまで何カ月もかかり、中国と欧州を一
つの覇権国家が支配することは難しかった。
13世紀、馬の速力を使ったモンゴル帝国が、
中国から黒海までを支配したのが唯一の例外
だった。
15-16世紀、スペインとポルトガルが
大航海によって世界帝国を作ったかに見える
が、彼らは世界のいくつかの港湾拠点を帆船
でつなぎ、年に何回かの航海をしていただけ
で、多くの国々は、スペインやポルトガルと
関係なく存在していた。中国には欧州より豊
かな明・清の帝国があったし、中東経由の陸
路でアジアに行く貿易路はオスマントルコ帝
国が支配していた。
英に始まり、欧州大陸諸国に広がった産業
革命は、英を中心とする欧州の産業力、軍事
力を格段に発展させ、中国やオスマン帝国は、
やがて英が主導する欧州列強によって破壊さ
れ、分割支配された。
英は覇権国家となったものの「武力を使わ
ず、政治文化的な影響力だけで他国を動かす」
という覇権の行使対象となっていたのは、欧
州地域の国々だけだった。欧州以外の国に対
しては、中国に対するアヘン戦争(1840
年)や、アフリカ分割(1880-1910
年代)などで武力を行使し、植民地化して露
骨に支配した。
英が、欧州諸国に対しては「覇権」による
隠然支配を行う半面、欧州以外の諸地域に対
しては露骨な植民地支配を行った理由はいく
つかある。その一つは、ローマ帝国以来、欧
州はキリスト教世界としての一体感があった
こと。もう一つは経済的に、欧州は英が産業
革命によって大量生産した商品の売り先であ
り、欧州全体の安定が英の発展にとって必要
だった。また、英が強国になった時には、す
でにスペイン、フランス、オランダ、ロシア
などが強い国として存在しており、それらの
他の列強と戦って勝つことは無理だった。英
は、海軍は最強だったが、陸軍は弱かった。
英は、世界で最初に民主主義の理念を開発
した国である。1215年の「マグナカルタ」
で貴族と王家との権利義務関係が文書化され、
国民(臣民)と王家との権利義務関係も16
28年の「権利請願」にさかのぼる。英は、
自国が民主主義を政治の建前とする以上、他
の欧州諸国の民主主義も尊重し、英が他国を
露骨に支配する方式を避けた。財政的にも、
戦争ではなく諜報や外交の政治謀略で覇権を
取った方が有利だった。
これが、英国の英国たる由縁・・・だな。
人類史上、初めて世界的な覇権を構築した
のはイギリスである。1815年にナポレオ
ンを破ってから、1914年に第一次大戦が
始まるまでが、イギリスの覇権期(パックス
・ブリタニカ)だった。
イギリスが世界覇権を初めて構築できた主
因は、1780年代から産業革命を引き起こ
し、それまで馬力や人力、水力などしかなか
った動力の分野に、蒸気機関やガソリンエン
ジンをもたらし、汽船や鉄道などを開発し、
交通の所要時間の面で世界を縮小させたから
である。産業革命前の世界は、中国から欧州
に行くまで何カ月もかかり、中国と欧州を一
つの覇権国家が支配することは難しかった。
13世紀、馬の速力を使ったモンゴル帝国が、
中国から黒海までを支配したのが唯一の例外
だった。
15-16世紀、スペインとポルトガルが
大航海によって世界帝国を作ったかに見える
が、彼らは世界のいくつかの港湾拠点を帆船
でつなぎ、年に何回かの航海をしていただけ
で、多くの国々は、スペインやポルトガルと
関係なく存在していた。中国には欧州より豊
かな明・清の帝国があったし、中東経由の陸
路でアジアに行く貿易路はオスマントルコ帝
国が支配していた。
英に始まり、欧州大陸諸国に広がった産業
革命は、英を中心とする欧州の産業力、軍事
力を格段に発展させ、中国やオスマン帝国は、
やがて英が主導する欧州列強によって破壊さ
れ、分割支配された。
英は覇権国家となったものの「武力を使わ
ず、政治文化的な影響力だけで他国を動かす」
という覇権の行使対象となっていたのは、欧
州地域の国々だけだった。欧州以外の国に対
しては、中国に対するアヘン戦争(1840
年)や、アフリカ分割(1880-1910
年代)などで武力を行使し、植民地化して露
骨に支配した。
英が、欧州諸国に対しては「覇権」による
隠然支配を行う半面、欧州以外の諸地域に対
しては露骨な植民地支配を行った理由はいく
つかある。その一つは、ローマ帝国以来、欧
州はキリスト教世界としての一体感があった
こと。もう一つは経済的に、欧州は英が産業
革命によって大量生産した商品の売り先であ
り、欧州全体の安定が英の発展にとって必要
だった。また、英が強国になった時には、す
でにスペイン、フランス、オランダ、ロシア
などが強い国として存在しており、それらの
他の列強と戦って勝つことは無理だった。英
は、海軍は最強だったが、陸軍は弱かった。
英は、世界で最初に民主主義の理念を開発
した国である。1215年の「マグナカルタ」
で貴族と王家との権利義務関係が文書化され、
国民(臣民)と王家との権利義務関係も16
28年の「権利請願」にさかのぼる。英は、
自国が民主主義を政治の建前とする以上、他
の欧州諸国の民主主義も尊重し、英が他国を
露骨に支配する方式を避けた。財政的にも、
戦争ではなく諜報や外交の政治謀略で覇権を
取った方が有利だった。
これが、英国の英国たる由縁・・・だな。
2008年8月19日火曜日
Hegemony system......2
▼覇権の背景は民主主義の建前
今回の記事の本題は「なぜ世界を支配するのに、
武力を使わない覇権というやり方が必要なのか」
をめぐる考察である。結論から先に書くと「民主
主義、主権在民が国家の理想の姿であるというの
が近代の国際社会における建前であり、ある国が
他国を武力で脅して強制的に動かす支配の手法は、
被支配国の民意を無視する悪いことだから」であ
る。
この建前があるため、表向きは、武力を使わず、
国際政治の分野での権威とか、文化的影響力によ
って、世界的もしくは地域諸国に対する影響力が
行使され、それが覇権だということになっている。
実際には、軍事力の強い国しか覇権国になれない
ので、武力が担保になっている。
また、他国の政治を動かす場合、他国の詳細な
政局を把握しておく必要があり、「諜報」は覇権
の重要な手口である。覇権国だったイギリスは、
MI6(軍事諜報部、SIS)など世界最強の諜
報機関を持ち、今も諜報力は英の国力の最重要の
部分である。英は、スコットランド独立で国土が
縮小し、米のコピーだった英金融システムが昨夏
以来の金融危機で潰れても、MI6がある限り、
他の大国から機密や技術を盗み出し、それを金儲
けに変えて国家の生き残りを画策できる。
最近の覇権国である中国やロシアは、英米ほど
諜報が強くない。代わりに中露は、経済的な支配
力を使って覇権を行使している。ロシアの武器は
エネルギーで「ガスOPEC」の新カルテルなど
でエネルギーの国際価格を操作し、ガスをロシア
に頼るEUなどを親露的にさせている。中国は各
地の発展途上国との間で、インフラ・エネルギー
投資と、工業製品の販売を軸に経済関係を結び、
影響力を拡大している。
日本も1970年代から同じことができたはず
だが、対米従属が心地よかったのと、戦前の悪い
覇権国(大東亜共栄圏)のイメージに縛られ、独
自覇権の拡大を否定し、国際政治的な資産を築か
ないまま、経済発展の頂点をすぎてしまった。ま
だ今からでも方向転換は可能だろうが、今のとこ
ろ日本の政府や国民は、どんどん自閉的になると
いう逆の方向に進んでいる。
・・・日本に明るい兆しはないのか。
今回の記事の本題は「なぜ世界を支配するのに、
武力を使わない覇権というやり方が必要なのか」
をめぐる考察である。結論から先に書くと「民主
主義、主権在民が国家の理想の姿であるというの
が近代の国際社会における建前であり、ある国が
他国を武力で脅して強制的に動かす支配の手法は、
被支配国の民意を無視する悪いことだから」であ
る。
この建前があるため、表向きは、武力を使わず、
国際政治の分野での権威とか、文化的影響力によ
って、世界的もしくは地域諸国に対する影響力が
行使され、それが覇権だということになっている。
実際には、軍事力の強い国しか覇権国になれない
ので、武力が担保になっている。
また、他国の政治を動かす場合、他国の詳細な
政局を把握しておく必要があり、「諜報」は覇権
の重要な手口である。覇権国だったイギリスは、
MI6(軍事諜報部、SIS)など世界最強の諜
報機関を持ち、今も諜報力は英の国力の最重要の
部分である。英は、スコットランド独立で国土が
縮小し、米のコピーだった英金融システムが昨夏
以来の金融危機で潰れても、MI6がある限り、
他の大国から機密や技術を盗み出し、それを金儲
けに変えて国家の生き残りを画策できる。
最近の覇権国である中国やロシアは、英米ほど
諜報が強くない。代わりに中露は、経済的な支配
力を使って覇権を行使している。ロシアの武器は
エネルギーで「ガスOPEC」の新カルテルなど
でエネルギーの国際価格を操作し、ガスをロシア
に頼るEUなどを親露的にさせている。中国は各
地の発展途上国との間で、インフラ・エネルギー
投資と、工業製品の販売を軸に経済関係を結び、
影響力を拡大している。
日本も1970年代から同じことができたはず
だが、対米従属が心地よかったのと、戦前の悪い
覇権国(大東亜共栄圏)のイメージに縛られ、独
自覇権の拡大を否定し、国際政治的な資産を築か
ないまま、経済発展の頂点をすぎてしまった。ま
だ今からでも方向転換は可能だろうが、今のとこ
ろ日本の政府や国民は、どんどん自閉的になると
いう逆の方向に進んでいる。
・・・日本に明るい兆しはないのか。
2008年8月18日月曜日
Hegemony system......1
★覇権の起源
国際政治を考える際に「覇権」(ヘゲモニー、hegemony)
という言葉はとても重要だ。国家間の関係は、国連などの場で
の建前では、あらゆる国家が対等な関係にあるが、実際には大
国と小国、覇権国とその他の国々の間に優劣がある。今の覇権
国はアメリカである。
「覇権」は一般的には、国際的な「支配」と同義のように使わ
れており、私もそのように漠然と思っていたが、よく調べてみ
ると、覇権は、いわゆる支配とは定義が明確に異なる。覇権と
は「武力を使わずに他国に影響力を持つこと」である。支配と
いう言葉から思い起こされる、武力によって他国を傘下に置く
植民地、保護国、傀儡政権などは、覇権の範囲に入らない。
傀儡政権でも、イラクのように明確に軍事侵攻の結果である
場合は「覇権」とは呼びにくい。イラクの場合、建前としては
「フセイン政権を倒すことがイラク人の総意だったが、イラク
人自身は力を奪われてできなかったので、代わりに米軍がフセ
インを倒してやった。その後、イラクに民主国家が建設されて
いく過程が現状であり、米軍はイラクの民主国家建設を支援し、
イラクに入り込んでテロを続けるアルカイダと戦っているだけ
で、軍事支配とか傀儡政権化とは全く異なる」ということにな
っている。
しかし、同じ傀儡化でも、戦後の日本のように、最初は軍事
占領で傀儡政権(と疑われるもの)が作られ、その後は米から
完全に独立した民主主義国家として機能しているものの、60
年たっても対米従属で、外交権を自主的に米に引き渡している
場合はどうか。今の日本人の大多数には、米から抑圧されてい
るという自覚は全くないから、米から日本への影響力行使は、
まさに覇権そのものといえる。傀儡化と覇権とは、矛盾する概
念ではないことになる。影響力行使の際、武力を背景にした脅
しが存在するかどうかは微妙な問題であり、覇権(武力なし)
と支配(武力あり)との境目は曖昧だ。
(傀儡政権は、国民にとって必ずしも悪いものではない。東条
英機よりマッカーサーの方が良い行政をすると当時の日本人の
多くが感じ、日本は自主的に米の傀儡になった。米軍侵攻直後、
イラク人はフセイン時代より生活が好転すると期待したが、実
際にはむしろ生活はひどく悪化したので、イラク人は反米にな
った)
もっと広く考えると、今の世界で、反米を掲げている国以外
のあらゆる国の政府は、米政府筋から何か非公式に忠告や批判
をされたら、それがいかにやんわりと曖昧としたものであって
も、かなり強く重視するはずである。これが覇権の関係である。
その意味で、米は覇権国である。
米からどんな非公式忠告を受けたか、それを受け手の政府中
枢がどう分析判断し、反応するか、マスコミには全く出ないケ
ースがほとんどだ。覇権は隠然と行使され、隠然と対応されて
いる。覇権の本質や行使の手口は、ほとんどわからない。政府
から完全自立しているはずの日本のマスコミが、なぜ対米従属
の偏向報道を続けるのか。日本のマスコミが「偏向」している
のかどうかということ自体を含め、満足な議論になるだけの根
拠や材料がない。しかし、私のところに来る読者からのメール
の傾向からみて、3年ほど前から「日本のマスコミは偏向して
いる」と考える人が増えている。
アジアの国々は最近、米と並んで、中国からのやんわりとし
た忠告を重視する傾向を強めている。ミャンマー問題のように、
米と中国が相反する主張をしている場合、間にはさまる東南ア
ジア諸国は、微妙なバランスをとった政治を展開する。中国は、
アジアの覇権国になりつつある。同様に、先日のグルジアとロ
シアの戦争で、英以外の欧州諸国がロシアをほとんど批判しな
いことからは、ロシアの覇権拡大がうかがえる。私の「隠れ多
極主義」の分析は間違いだと言う人でも、世界の覇権体制が多
極化していることは認めざるを得ない。
(グルジアの戦争については改めて書くが、要点だけ先に書く
と、先に攻撃したのはグルジアの方であり、米がグルジアのサ
ーカシビリ大統領をそそのかして攻撃させたのだろう。ロシア
を非難する米英マスコミは偏向している。南オセチアとアブハ
ジアが再びグルジア領に戻ることはなさそうだ。グルジアの国
防相と国家統合相はイスラエルとの二重国籍を持ち、ヘブライ
語を流暢に話す。イスラエルはグルジア軍の特殊部隊を訓練し
てきた。サーカシビリは間抜けな戦争を仕掛けた責任をとって
辞任に追い込まれるかもしれない)
国際政治を考える際に「覇権」(ヘゲモニー、hegemony)
という言葉はとても重要だ。国家間の関係は、国連などの場で
の建前では、あらゆる国家が対等な関係にあるが、実際には大
国と小国、覇権国とその他の国々の間に優劣がある。今の覇権
国はアメリカである。
「覇権」は一般的には、国際的な「支配」と同義のように使わ
れており、私もそのように漠然と思っていたが、よく調べてみ
ると、覇権は、いわゆる支配とは定義が明確に異なる。覇権と
は「武力を使わずに他国に影響力を持つこと」である。支配と
いう言葉から思い起こされる、武力によって他国を傘下に置く
植民地、保護国、傀儡政権などは、覇権の範囲に入らない。
傀儡政権でも、イラクのように明確に軍事侵攻の結果である
場合は「覇権」とは呼びにくい。イラクの場合、建前としては
「フセイン政権を倒すことがイラク人の総意だったが、イラク
人自身は力を奪われてできなかったので、代わりに米軍がフセ
インを倒してやった。その後、イラクに民主国家が建設されて
いく過程が現状であり、米軍はイラクの民主国家建設を支援し、
イラクに入り込んでテロを続けるアルカイダと戦っているだけ
で、軍事支配とか傀儡政権化とは全く異なる」ということにな
っている。
しかし、同じ傀儡化でも、戦後の日本のように、最初は軍事
占領で傀儡政権(と疑われるもの)が作られ、その後は米から
完全に独立した民主主義国家として機能しているものの、60
年たっても対米従属で、外交権を自主的に米に引き渡している
場合はどうか。今の日本人の大多数には、米から抑圧されてい
るという自覚は全くないから、米から日本への影響力行使は、
まさに覇権そのものといえる。傀儡化と覇権とは、矛盾する概
念ではないことになる。影響力行使の際、武力を背景にした脅
しが存在するかどうかは微妙な問題であり、覇権(武力なし)
と支配(武力あり)との境目は曖昧だ。
(傀儡政権は、国民にとって必ずしも悪いものではない。東条
英機よりマッカーサーの方が良い行政をすると当時の日本人の
多くが感じ、日本は自主的に米の傀儡になった。米軍侵攻直後、
イラク人はフセイン時代より生活が好転すると期待したが、実
際にはむしろ生活はひどく悪化したので、イラク人は反米にな
った)
もっと広く考えると、今の世界で、反米を掲げている国以外
のあらゆる国の政府は、米政府筋から何か非公式に忠告や批判
をされたら、それがいかにやんわりと曖昧としたものであって
も、かなり強く重視するはずである。これが覇権の関係である。
その意味で、米は覇権国である。
米からどんな非公式忠告を受けたか、それを受け手の政府中
枢がどう分析判断し、反応するか、マスコミには全く出ないケ
ースがほとんどだ。覇権は隠然と行使され、隠然と対応されて
いる。覇権の本質や行使の手口は、ほとんどわからない。政府
から完全自立しているはずの日本のマスコミが、なぜ対米従属
の偏向報道を続けるのか。日本のマスコミが「偏向」している
のかどうかということ自体を含め、満足な議論になるだけの根
拠や材料がない。しかし、私のところに来る読者からのメール
の傾向からみて、3年ほど前から「日本のマスコミは偏向して
いる」と考える人が増えている。
アジアの国々は最近、米と並んで、中国からのやんわりとし
た忠告を重視する傾向を強めている。ミャンマー問題のように、
米と中国が相反する主張をしている場合、間にはさまる東南ア
ジア諸国は、微妙なバランスをとった政治を展開する。中国は、
アジアの覇権国になりつつある。同様に、先日のグルジアとロ
シアの戦争で、英以外の欧州諸国がロシアをほとんど批判しな
いことからは、ロシアの覇権拡大がうかがえる。私の「隠れ多
極主義」の分析は間違いだと言う人でも、世界の覇権体制が多
極化していることは認めざるを得ない。
(グルジアの戦争については改めて書くが、要点だけ先に書く
と、先に攻撃したのはグルジアの方であり、米がグルジアのサ
ーカシビリ大統領をそそのかして攻撃させたのだろう。ロシア
を非難する米英マスコミは偏向している。南オセチアとアブハ
ジアが再びグルジア領に戻ることはなさそうだ。グルジアの国
防相と国家統合相はイスラエルとの二重国籍を持ち、ヘブライ
語を流暢に話す。イスラエルはグルジア軍の特殊部隊を訓練し
てきた。サーカシビリは間抜けな戦争を仕掛けた責任をとって
辞任に追い込まれるかもしれない)
2008年8月17日日曜日
America and china....4
▼日本のナショナリズム
中国が日本より優勢で強い国になることは、日本の
「戦後」が終わることをも意味する。戦後の日本は、
戦前のようにアジア最強の立場を利用して中国などの
アジア諸国に侵攻占領することを繰り返さないよう、
日本人が自らのナショナリズムを自己抑圧したり、自
国の軍事拡大に対して嫌悪感を抱くような世論作りや
教育が行われてきた。しかし、アジア最強の国が中国
になり、朝鮮半島や東南アジアの諸国が、日本ではな
く中国の顔色をうかがうようになると、もはや日本が
再びアジアを侵略する恐れがない状態になる。日本が
自らナショナリズムや軍事化を抑制する必要はなくな
る。
すでにこの「脱戦後」の状況は、10年ほど前から、
日本でのマスコミなどによるナショナリズム発揚の動
きや、防衛庁の省への昇格などの形をとって表れてい
る。もはや、日本はアジアで最強ではなく、アジア侵
出する可能性はないのだから、日本が国民のナショナ
リズムを煽ってもかまわないことになる。中国や韓国
は戦後ずっと、国を挙げて国民のナショナリズムを煽
り続けてきた。
日本では自国のナショナリズムを嫌い、中国や韓国
のナショナリズムを黙認(ときに賛同)する「左翼」
は時代遅れとなり、ほぼ絶滅した。終戦記念日や広島
・長崎の原爆記念日も、影が薄くなっている。
今の中国は、日本のナショナリズム高揚や軍拡に、
あまり懸念を持っていない。中国は冷戦中には、米が
日本に再軍備させて中国と対抗させることを警戒し、
日本のナショナリズム高揚を懸念していたが、すでに
冷戦は終わり、米中枢で冷戦派(軍産英複合体)より
多極派(親中派)が優勢になって、中国の台頭が容認
・誘発され、アジアの国際関係が中国中心になってい
く傾向が確定する中、中国は日本を懸念しなくなった。
もはや、国外から日本を抑止しようとする力は存在し
ない。
日本は米にも中国にも気兼ねせず、国家戦略を自由
に決められる状況になっているが、逆にこの状況は日
本人にとって「従うべき方向感」が失われた閉塞的な
感覚をもたらし、日本のナショナリズムは自閉的にな
っている。もったいないことである。
・・・・・日本は国際感覚で危険でない事、怖くな
いこと、重要でない事が確認されたのか。なんだか、
日本は終わったかのように思えてしょうがない。
中国が日本より優勢で強い国になることは、日本の
「戦後」が終わることをも意味する。戦後の日本は、
戦前のようにアジア最強の立場を利用して中国などの
アジア諸国に侵攻占領することを繰り返さないよう、
日本人が自らのナショナリズムを自己抑圧したり、自
国の軍事拡大に対して嫌悪感を抱くような世論作りや
教育が行われてきた。しかし、アジア最強の国が中国
になり、朝鮮半島や東南アジアの諸国が、日本ではな
く中国の顔色をうかがうようになると、もはや日本が
再びアジアを侵略する恐れがない状態になる。日本が
自らナショナリズムや軍事化を抑制する必要はなくな
る。
すでにこの「脱戦後」の状況は、10年ほど前から、
日本でのマスコミなどによるナショナリズム発揚の動
きや、防衛庁の省への昇格などの形をとって表れてい
る。もはや、日本はアジアで最強ではなく、アジア侵
出する可能性はないのだから、日本が国民のナショナ
リズムを煽ってもかまわないことになる。中国や韓国
は戦後ずっと、国を挙げて国民のナショナリズムを煽
り続けてきた。
日本では自国のナショナリズムを嫌い、中国や韓国
のナショナリズムを黙認(ときに賛同)する「左翼」
は時代遅れとなり、ほぼ絶滅した。終戦記念日や広島
・長崎の原爆記念日も、影が薄くなっている。
今の中国は、日本のナショナリズム高揚や軍拡に、
あまり懸念を持っていない。中国は冷戦中には、米が
日本に再軍備させて中国と対抗させることを警戒し、
日本のナショナリズム高揚を懸念していたが、すでに
冷戦は終わり、米中枢で冷戦派(軍産英複合体)より
多極派(親中派)が優勢になって、中国の台頭が容認
・誘発され、アジアの国際関係が中国中心になってい
く傾向が確定する中、中国は日本を懸念しなくなった。
もはや、国外から日本を抑止しようとする力は存在し
ない。
日本は米にも中国にも気兼ねせず、国家戦略を自由
に決められる状況になっているが、逆にこの状況は日
本人にとって「従うべき方向感」が失われた閉塞的な
感覚をもたらし、日本のナショナリズムは自閉的にな
っている。もったいないことである。
・・・・・日本は国際感覚で危険でない事、怖くな
いこと、重要でない事が確認されたのか。なんだか、
日本は終わったかのように思えてしょうがない。
2008年8月16日土曜日
America and china....3
▼米は台湾や竹島でも
AmericaはTaiwanに対しても、台湾が馬英九政権になってChina
に接近した後、台湾に武器を売らないという異例の姿勢
を示した。米は台湾との関係を疎遠にすることで、台湾
を中国の方向に押しやっている。
日本に対してもブッシュ政権は、Takesima問題で日本側を
怒らせるようなことをやっている。米での竹島の正式な
呼び名に関して、日本側の「竹島」を使うか、Koria側の
「独島」を使うか、それとも欧州が昔に名づけた「リア
ンクル・ロックス」を使うかという、竹島問題への米と
しての姿勢を示す問題に関し、米政府の地名委員会は7
月下旬、それまでの韓国側の肩を持つ「独島」使用をや
めて、中立的な「リアンクル・ロックス」に変えるとの
決定を下した。これに対しブッシュ政権中枢は、ブッシ
ュの韓国訪問が近いという理由で、米での竹島の呼び名
を「独島」に戻すよう地名委員会に要請し、元に戻させ
た。
こうしたブッシュ政権の動きは、日本ではあまり大き
く報じられなかった。大々的に報じられると日本人の反
米感情が煽られ、日本人を反米にしてアジアの方に押し
やりたいブッシュ政権の思う壺だからだろう。対米従属
を続けたい日本政府は、日本人の反米感情が強まるのは
困る。日本では、米中が世界最重要の2国間関係に向か
う準備として、互いに大規模な大使館を建設したことも、
まともに報じられていない。日本人が「見ないふり」を
している間に、米は中国をアジアの地域覇権国に仕立て
る動きを進め、日本の対米従属は空洞化させられている。
今回、ブッシュは北京五輪出席のため、中国、韓国、
タイを訪問したが、日本には来なかった。98年にクリ
ントン前大統領が日本に寄らずに訪中した際は「ジャパ
ン・パッシング」と呼んで日米ともに大騒ぎしたが、今
回は大統領が訪中の際に日本に寄らないことが問題にす
らならなかった。
日本政府はここ数年、mass communicationを使って日本人の反中
国感情を煽り、米が中国包囲網を作る際の一助になるこ
とで、対米従属を強化しようとしたが、米自身が中国重
視を強める中、日本の戦略は破綻している。日本にとっ
て「お上」である米が、中国をアジアの覇権国にしたい
以上、日本はその事態を受容するしかない。妥協がいや
で「反中国」を思い切りやりたい人は「反米」になる必
要がある。
もしくはイスラエル右派のように、米の軍産複合体や
右派議員と話をつけた上で、日本の自衛隊が米軍を巻き
込む形で中国に先制攻撃し、米中戦争を勃発させ、日米
VS中国の冷戦型の長期戦争を実現するという構想もあ
り得るが、米の右派には「やりすぎによって自滅させる」
という隠れ多極主義者がいる。今のイスラエルのように、
日本が自滅的な戦争の矢面に立たされて終わる可能性が
大きく、非常に危険である。共和党マケイン候補が次期
大統領になったら、米軍産複合体の利権を背景に、日本
に中国との戦争をけしかけるかもしれないが、日本がこ
れに乗ると、再び「敗戦」の破滅を経験することになり
かねない。
とにかく、政府間のやり取りには色々な打算的含みが
あるが、米は日本にとって頼り甲斐の有るお兄さんの存
在であったような気がしたのは、おばかな日本人の勝手
な感情であったこについて国民の殆どが理解している。
しかし、これから先の日本の歩み方には不安だらけで
ある訳で、政府間のやり取り報道もまともに観れないと
いうことは客観的には面白いものもあるが、自国の将来
を考えると恐怖でいっぱい・・・いや、諦めるしかない
のかなあ。
AmericaはTaiwanに対しても、台湾が馬英九政権になってChina
に接近した後、台湾に武器を売らないという異例の姿勢
を示した。米は台湾との関係を疎遠にすることで、台湾
を中国の方向に押しやっている。
日本に対してもブッシュ政権は、Takesima問題で日本側を
怒らせるようなことをやっている。米での竹島の正式な
呼び名に関して、日本側の「竹島」を使うか、Koria側の
「独島」を使うか、それとも欧州が昔に名づけた「リア
ンクル・ロックス」を使うかという、竹島問題への米と
しての姿勢を示す問題に関し、米政府の地名委員会は7
月下旬、それまでの韓国側の肩を持つ「独島」使用をや
めて、中立的な「リアンクル・ロックス」に変えるとの
決定を下した。これに対しブッシュ政権中枢は、ブッシ
ュの韓国訪問が近いという理由で、米での竹島の呼び名
を「独島」に戻すよう地名委員会に要請し、元に戻させ
た。
こうしたブッシュ政権の動きは、日本ではあまり大き
く報じられなかった。大々的に報じられると日本人の反
米感情が煽られ、日本人を反米にしてアジアの方に押し
やりたいブッシュ政権の思う壺だからだろう。対米従属
を続けたい日本政府は、日本人の反米感情が強まるのは
困る。日本では、米中が世界最重要の2国間関係に向か
う準備として、互いに大規模な大使館を建設したことも、
まともに報じられていない。日本人が「見ないふり」を
している間に、米は中国をアジアの地域覇権国に仕立て
る動きを進め、日本の対米従属は空洞化させられている。
今回、ブッシュは北京五輪出席のため、中国、韓国、
タイを訪問したが、日本には来なかった。98年にクリ
ントン前大統領が日本に寄らずに訪中した際は「ジャパ
ン・パッシング」と呼んで日米ともに大騒ぎしたが、今
回は大統領が訪中の際に日本に寄らないことが問題にす
らならなかった。
日本政府はここ数年、mass communicationを使って日本人の反中
国感情を煽り、米が中国包囲網を作る際の一助になるこ
とで、対米従属を強化しようとしたが、米自身が中国重
視を強める中、日本の戦略は破綻している。日本にとっ
て「お上」である米が、中国をアジアの覇権国にしたい
以上、日本はその事態を受容するしかない。妥協がいや
で「反中国」を思い切りやりたい人は「反米」になる必
要がある。
もしくはイスラエル右派のように、米の軍産複合体や
右派議員と話をつけた上で、日本の自衛隊が米軍を巻き
込む形で中国に先制攻撃し、米中戦争を勃発させ、日米
VS中国の冷戦型の長期戦争を実現するという構想もあ
り得るが、米の右派には「やりすぎによって自滅させる」
という隠れ多極主義者がいる。今のイスラエルのように、
日本が自滅的な戦争の矢面に立たされて終わる可能性が
大きく、非常に危険である。共和党マケイン候補が次期
大統領になったら、米軍産複合体の利権を背景に、日本
に中国との戦争をけしかけるかもしれないが、日本がこ
れに乗ると、再び「敗戦」の破滅を経験することになり
かねない。
とにかく、政府間のやり取りには色々な打算的含みが
あるが、米は日本にとって頼り甲斐の有るお兄さんの存
在であったような気がしたのは、おばかな日本人の勝手
な感情であったこについて国民の殆どが理解している。
しかし、これから先の日本の歩み方には不安だらけで
ある訳で、政府間のやり取り報道もまともに観れないと
いうことは客観的には面白いものもあるが、自国の将来
を考えると恐怖でいっぱい・・・いや、諦めるしかない
のかなあ。
2008年8月15日金曜日
America and china....2
▼北朝鮮を中国に任せる米
米ブッシュ政権は最近、北朝鮮を「テロ支援国家リスト」
から外さない姿勢を表明し始めたが、これも、北朝鮮問題・
朝鮮半島和平問題を中国に任せ、米自身は大きな関与をしな
いという戦略の裏返しであると考えられる。
米朝は6月末、北朝鮮が核開発の全容を6者協議の場で開
示し、寧辺原子炉を停止する見返りに、米は北をテロ支援国
家リストから外すという交換条件的な合意に達し、米政府は
45日後の8月11日に、北をテロ支援リストから除外する
かどうかの最終判断を下すことになっていた。しかし、この
期限が10日後に迫った8月1日、国務省の北朝鮮担当者で
あるヒル次官補は米議会の公聴会で「今後の米朝協議では、
北の人権侵害の問題を議題に加えることにした」と米政府の
新しい立場を表明した。
米政府は03年6者協議が始まって以来、北の核兵器開発
を阻止することを最優先するため、協議の場で、北の人権侵
害問題など、核以外の問題を議題にすることを避けてきた。
そして、いよいよ核問題が解決しそうな時になって、米は新
たな協議事項として人権問題を持ち出してきた。
一つの問題が解決しかけたところで、別の問題を持ち出し
て強硬姿勢を維持するのは、ブッシュ政権が侵攻前のイラク
や、その後のイランに対して行った戦略である。イラクは侵
攻され、100万人以上の市民が殺された。イランは、米側
から求められているウラン濃縮の停止を強く拒否している。
譲歩しても、他の問題を持ち出され、潰されるまで米に許さ
れず、譲歩は無駄だと考えているからである。
今回、米が北朝鮮に「核廃棄だけでなく、人権問題も解決
しないと許さない」と言い出したことは、北がイランと同様
の強硬姿勢をとるように、米が(意図して、もしくは意図せ
ずに)誘導していることを意味している。イランの場合と同
様、世界の他の国々は、しだいに米の強硬姿勢につき合わな
くなる。数年前なら、米がイランや北を軍事攻撃する懸念が
あったが、イラクとアフガンで疲弊する米軍は、北やイラン
を攻撃できる状況にない。もはや世界にとって、米は怖くな
い存在なので、今さら米が強硬姿勢を続けても、世界は真剣
につき合わない。
現在、北朝鮮にとって最重要の国は、北がconsumptionするエネル
ギーの9割を供給するchinaである。そして中国は、americaから最
重要の国と見なされる傾向を強めている。中国政府は、北が
核兵器の原料を持っていることを、大した問題と考えていな
い。核の有無より、地域諸国間のrelationが政治的に安定してい
ることの方が重要だと考えている。international政治のworldで中国が
重視されて自信をつけ、米中が対等な関係に近づく中で、中
国は米の非現実的な強硬策につき合わず、現実的なrespect関係
重視の政策を北に対して行っていくpossibilityが高まる。
・・・・このような見方もできると言う話だけに留まらな
いのではないか。
米ブッシュ政権は最近、北朝鮮を「テロ支援国家リスト」
から外さない姿勢を表明し始めたが、これも、北朝鮮問題・
朝鮮半島和平問題を中国に任せ、米自身は大きな関与をしな
いという戦略の裏返しであると考えられる。
米朝は6月末、北朝鮮が核開発の全容を6者協議の場で開
示し、寧辺原子炉を停止する見返りに、米は北をテロ支援国
家リストから外すという交換条件的な合意に達し、米政府は
45日後の8月11日に、北をテロ支援リストから除外する
かどうかの最終判断を下すことになっていた。しかし、この
期限が10日後に迫った8月1日、国務省の北朝鮮担当者で
あるヒル次官補は米議会の公聴会で「今後の米朝協議では、
北の人権侵害の問題を議題に加えることにした」と米政府の
新しい立場を表明した。
米政府は03年6者協議が始まって以来、北の核兵器開発
を阻止することを最優先するため、協議の場で、北の人権侵
害問題など、核以外の問題を議題にすることを避けてきた。
そして、いよいよ核問題が解決しそうな時になって、米は新
たな協議事項として人権問題を持ち出してきた。
一つの問題が解決しかけたところで、別の問題を持ち出し
て強硬姿勢を維持するのは、ブッシュ政権が侵攻前のイラク
や、その後のイランに対して行った戦略である。イラクは侵
攻され、100万人以上の市民が殺された。イランは、米側
から求められているウラン濃縮の停止を強く拒否している。
譲歩しても、他の問題を持ち出され、潰されるまで米に許さ
れず、譲歩は無駄だと考えているからである。
今回、米が北朝鮮に「核廃棄だけでなく、人権問題も解決
しないと許さない」と言い出したことは、北がイランと同様
の強硬姿勢をとるように、米が(意図して、もしくは意図せ
ずに)誘導していることを意味している。イランの場合と同
様、世界の他の国々は、しだいに米の強硬姿勢につき合わな
くなる。数年前なら、米がイランや北を軍事攻撃する懸念が
あったが、イラクとアフガンで疲弊する米軍は、北やイラン
を攻撃できる状況にない。もはや世界にとって、米は怖くな
い存在なので、今さら米が強硬姿勢を続けても、世界は真剣
につき合わない。
現在、北朝鮮にとって最重要の国は、北がconsumptionするエネル
ギーの9割を供給するchinaである。そして中国は、americaから最
重要の国と見なされる傾向を強めている。中国政府は、北が
核兵器の原料を持っていることを、大した問題と考えていな
い。核の有無より、地域諸国間のrelationが政治的に安定してい
ることの方が重要だと考えている。international政治のworldで中国が
重視されて自信をつけ、米中が対等な関係に近づく中で、中
国は米の非現実的な強硬策につき合わず、現実的なrespect関係
重視の政策を北に対して行っていくpossibilityが高まる。
・・・・このような見方もできると言う話だけに留まらな
いのではないか。
2008年8月13日水曜日
America and china.....1
北京に、新しいアメリカ大使館が建設された。オリンピック
開催の半日前である8月8日の午前8時8分、五輪参加のため
に訪中したブッシュ大統領が出席し、新大使館の開設式が行わ
れた。北京の新しい米大使館は、世界の米大使館の中で2番目
に大きな規模を持っている。北京での米大使館員の数は、20
01年の500人から、現在の1000人へと倍増しており、
米政府は大使館の移転拡大を決めた。
世界最大の米大使館は、イラクのバグダッドにあり、500
0人が働いている。イラクの米大使館も最近完成した新しいも
のだが、米の軍事産業が巨額予算を獲得するために浪費的に巨
大なものを作った経緯があり、巨大だが機能不全の部分が多い。
バグダッドの米大使館はフセイン元大統領の宮殿跡に作られた
もので、この土地はイラク政府から返還を請求されており、い
つまで米大使館として使えるかも怪しい。バグダッドの米大使
館は、イラク戦争の産物という、例外・変則的な存在である。
事実上、北京の米大使館が、世界最大の米大使館であると考え
ることもできる。
中国側も今年7月に、米ワシントンDCで新しい中国大使館
を建設した。新中国大使館は、ワシントンにあるあらゆる諸国
の大使館の中で最も大きい規模となっている。
北京での新米大使館の完成にあたり、ランド駐中国米大使
(Clark T. Randt Jr.)は「米中関係は、21世紀の世界
で最も重要な2国間関係である」と表明した。米中相互の大使
館の規模の大きさは、この表明が誇張ではないことを示してい
る。以前の記事「アメリカが中国を覇権国に仕立てる」に書い
たように、米中関係が世界最重要の2国間関係だという見方は、
国際政治の業界で定着した見識になりつつある。
北京五輪の開会式には、ブッシュ大統領、福田首相、プーチ
ン首相ら、過去最大級の50カ国以上の指導者が参列した。ア
メリカの大統領が米国外で開かれたオリンピックの開会式に出
席したのは、今回が初めてである。ブッシュは五輪出席によっ
て、北京五輪を機に中国が国際社会から大国として認知される
状況作りに協力している。
欧米や日本では、軍産英複合体による冷戦復活のプロパガン
ダに乗せられて「五輪反対・チベット独立支援」の市民運動が
展開されているが、当のチベット指導者ダライラマは、中国政
府との交渉妥結を急ぎたいと思っている。中国政府は、チベッ
トにおける文化宗教面での自由な活動への容認度を上げる代わ
りに、ダライラマはチベット自治に関する要求度を下げる方向
で、双方は交渉妥結への努力をしている。実現しなかったもの
の、中国側には、ダライラマを四川省大地震の追悼式に参加し
てもらう構想もあった。日本の自衛隊機を救援物資運搬の口実
で飛ばすことで、日中間の対立を緩和しようとしたのと同様、
中国政府は大地震を、周辺諸勢力との政治緊張緩和に使おうと
したことがうかがえる。
開催の半日前である8月8日の午前8時8分、五輪参加のため
に訪中したブッシュ大統領が出席し、新大使館の開設式が行わ
れた。北京の新しい米大使館は、世界の米大使館の中で2番目
に大きな規模を持っている。北京での米大使館員の数は、20
01年の500人から、現在の1000人へと倍増しており、
米政府は大使館の移転拡大を決めた。
世界最大の米大使館は、イラクのバグダッドにあり、500
0人が働いている。イラクの米大使館も最近完成した新しいも
のだが、米の軍事産業が巨額予算を獲得するために浪費的に巨
大なものを作った経緯があり、巨大だが機能不全の部分が多い。
バグダッドの米大使館はフセイン元大統領の宮殿跡に作られた
もので、この土地はイラク政府から返還を請求されており、い
つまで米大使館として使えるかも怪しい。バグダッドの米大使
館は、イラク戦争の産物という、例外・変則的な存在である。
事実上、北京の米大使館が、世界最大の米大使館であると考え
ることもできる。
中国側も今年7月に、米ワシントンDCで新しい中国大使館
を建設した。新中国大使館は、ワシントンにあるあらゆる諸国
の大使館の中で最も大きい規模となっている。
北京での新米大使館の完成にあたり、ランド駐中国米大使
(Clark T. Randt Jr.)は「米中関係は、21世紀の世界
で最も重要な2国間関係である」と表明した。米中相互の大使
館の規模の大きさは、この表明が誇張ではないことを示してい
る。以前の記事「アメリカが中国を覇権国に仕立てる」に書い
たように、米中関係が世界最重要の2国間関係だという見方は、
国際政治の業界で定着した見識になりつつある。
北京五輪の開会式には、ブッシュ大統領、福田首相、プーチ
ン首相ら、過去最大級の50カ国以上の指導者が参列した。ア
メリカの大統領が米国外で開かれたオリンピックの開会式に出
席したのは、今回が初めてである。ブッシュは五輪出席によっ
て、北京五輪を機に中国が国際社会から大国として認知される
状況作りに協力している。
欧米や日本では、軍産英複合体による冷戦復活のプロパガン
ダに乗せられて「五輪反対・チベット独立支援」の市民運動が
展開されているが、当のチベット指導者ダライラマは、中国政
府との交渉妥結を急ぎたいと思っている。中国政府は、チベッ
トにおける文化宗教面での自由な活動への容認度を上げる代わ
りに、ダライラマはチベット自治に関する要求度を下げる方向
で、双方は交渉妥結への努力をしている。実現しなかったもの
の、中国側には、ダライラマを四川省大地震の追悼式に参加し
てもらう構想もあった。日本の自衛隊機を救援物資運搬の口実
で飛ばすことで、日中間の対立を緩和しようとしたのと同様、
中国政府は大地震を、周辺諸勢力との政治緊張緩和に使おうと
したことがうかがえる。
2008年8月12日火曜日
American Hero....3
▼イスラム主義を扇動し第2冷戦を画策
シャーは米英の傀儡だったはずなのに、なぜ米当局は
シャーを追い出してイスラム主義者に政権を渡し、しか
もその後、大使館占拠事件の後始末でイスラム主義者の
反米感情を煽り、米自らがイランから追い出される展開
を作ったのか。
それを考えるヒントになりそうなことをシャーが言っ
ている。シャーは革命前にイラクに側近を派遣し、当時
ホメイニをナジャフに亡命させていたイラク政府(バー
ス党政権)に対し、ホメイニを匿うとしっぺ返しを受け
ると警告した。シャー側近はイラク政府に「米は、中東
諸国の政治体制をイスラム主義に転換させようとしてい
る。CIAは今、ホメイニを使ってイランの政権転覆を
狙っているが、それが成功したら、米は次はイラクで、
バース党政権を転覆し、イスラム主義(シーア派)の政
権に変えようとするだろう」と警告した。
イラク政府はホメイニへの警戒を強め、ホメイニは7
8年、米当局が接触しやすいパリに移動した。イラン革
命から半年後の79年7月、イラクでは副大統領だった
サダム・フセインがクーデターを起こし、穏健派を追い
出して大統領となり、外からの政権転覆策に対応できる
独裁体制を強化した。
シャーの警告は、示唆に富んでいる。米は、中東全域
をイスラム主義に転換させる一環として、イランの政権
をイスラム主義に転換させたことになる。シーア派のイ
ラン革命から9カ月後の79年11月には、サウジアラ
ビアの聖地メッカの大モスクで、スンニ派イスラム過激
派による襲撃事件が起き、サウジのイスラム主義勢力が
王室に対する不満を強めていることが発露された。メッ
カでの襲撃事件に米当局が関与しているかどうかは全く
不明だが、79年以降、中東全域で反米的なイスラム主
義が強まったことは確かだ。
軍産複合体を中心とする米当局が、中東で反米的なイ
スラム主義勢力を台頭することを扇動ないし歓迎したと
したら、その理由はおそらく、イスラム世界と欧米イス
ラエルが長期対立する「第2冷戦」の枠組みを作りたか
ったからだろう。当時、東西陣営間の冷戦は終わりつつ
あった。70年代初期の米ニクソン政権が、金ドル交換
停止によって西側陣営の経済基盤だったドル本位制を自
滅させるとともに、中国訪問や米ソ対話を行って冷戦終
結への方向性を作り、これは78年の米中国交正常化、
89年の米ソ冷戦終結宣言へとつながった。
軍産複合体には、長期的・世界的に敵対できる新たな敵
勢力が必要だった。
ケネディ・ジョンソン・ニクソンの3代の政権による
ベトナム戦争の自滅的な惨敗の影響で、米政界では軍産
複合体に対する支持が減った。同時期には米の財政難悪
化で、米から財政支援を受けていた英の財政も破綻に瀕
し、英は1967年に海外(スエズ運河以東)の軍事基
地を全廃するなど、支配力が激減した。このような軍産
英複合体の弱体化の中で、かつて国連を作った米の拡大
均衡派(多極主義勢力)が盛り返し、冷戦終結の方向に
事態を動かした。
苦境にあった軍産複合体を救ったのが、衰退する英の
跡継ぎのように70年代から米政界に食い込み出したイ
スラエル(シオニスト右派)で、彼らが考えたのが、欧
米イスラエルがイスラム世界と長期対立する第2冷戦
(今の呼び名はテロ戦争)の構造だった。その構造を作
り出すための一策が、79年のイスラム革命であり、8
0年代のレバノン戦争(シーア派ヒズボラの勃興)であ
り、90年代のオサマ・ビンラディンらによる活動だっ
たと考えられる。ホメイニがCIAとつながっていたの
と同様、ビンラディンもCIAとのつながりがたびたび
指摘された。正確には「CIAのふりをしたモサド(イ
スラエル諜報機関)」と言うべきかもしれない。
90年代には、冷戦終結に加え、英が軍産複合体を見
捨てて金融面で米と結託する新戦略に転じたことにより、
一時的にイスラム対欧米の第2冷戦構造の強化は止まっ
たが、90年代後半の「文明の衝突」のキーワード発布
あたりから再びイスラム対欧米の構図が取り沙汰され、
911事件とともに、テロ戦争として劇的に復活した。
シャーは米英の傀儡だったはずなのに、なぜ米当局は
シャーを追い出してイスラム主義者に政権を渡し、しか
もその後、大使館占拠事件の後始末でイスラム主義者の
反米感情を煽り、米自らがイランから追い出される展開
を作ったのか。
それを考えるヒントになりそうなことをシャーが言っ
ている。シャーは革命前にイラクに側近を派遣し、当時
ホメイニをナジャフに亡命させていたイラク政府(バー
ス党政権)に対し、ホメイニを匿うとしっぺ返しを受け
ると警告した。シャー側近はイラク政府に「米は、中東
諸国の政治体制をイスラム主義に転換させようとしてい
る。CIAは今、ホメイニを使ってイランの政権転覆を
狙っているが、それが成功したら、米は次はイラクで、
バース党政権を転覆し、イスラム主義(シーア派)の政
権に変えようとするだろう」と警告した。
イラク政府はホメイニへの警戒を強め、ホメイニは7
8年、米当局が接触しやすいパリに移動した。イラン革
命から半年後の79年7月、イラクでは副大統領だった
サダム・フセインがクーデターを起こし、穏健派を追い
出して大統領となり、外からの政権転覆策に対応できる
独裁体制を強化した。
シャーの警告は、示唆に富んでいる。米は、中東全域
をイスラム主義に転換させる一環として、イランの政権
をイスラム主義に転換させたことになる。シーア派のイ
ラン革命から9カ月後の79年11月には、サウジアラ
ビアの聖地メッカの大モスクで、スンニ派イスラム過激
派による襲撃事件が起き、サウジのイスラム主義勢力が
王室に対する不満を強めていることが発露された。メッ
カでの襲撃事件に米当局が関与しているかどうかは全く
不明だが、79年以降、中東全域で反米的なイスラム主
義が強まったことは確かだ。
軍産複合体を中心とする米当局が、中東で反米的なイ
スラム主義勢力を台頭することを扇動ないし歓迎したと
したら、その理由はおそらく、イスラム世界と欧米イス
ラエルが長期対立する「第2冷戦」の枠組みを作りたか
ったからだろう。当時、東西陣営間の冷戦は終わりつつ
あった。70年代初期の米ニクソン政権が、金ドル交換
停止によって西側陣営の経済基盤だったドル本位制を自
滅させるとともに、中国訪問や米ソ対話を行って冷戦終
結への方向性を作り、これは78年の米中国交正常化、
89年の米ソ冷戦終結宣言へとつながった。
軍産複合体には、長期的・世界的に敵対できる新たな敵
勢力が必要だった。
ケネディ・ジョンソン・ニクソンの3代の政権による
ベトナム戦争の自滅的な惨敗の影響で、米政界では軍産
複合体に対する支持が減った。同時期には米の財政難悪
化で、米から財政支援を受けていた英の財政も破綻に瀕
し、英は1967年に海外(スエズ運河以東)の軍事基
地を全廃するなど、支配力が激減した。このような軍産
英複合体の弱体化の中で、かつて国連を作った米の拡大
均衡派(多極主義勢力)が盛り返し、冷戦終結の方向に
事態を動かした。
苦境にあった軍産複合体を救ったのが、衰退する英の
跡継ぎのように70年代から米政界に食い込み出したイ
スラエル(シオニスト右派)で、彼らが考えたのが、欧
米イスラエルがイスラム世界と長期対立する第2冷戦
(今の呼び名はテロ戦争)の構造だった。その構造を作
り出すための一策が、79年のイスラム革命であり、8
0年代のレバノン戦争(シーア派ヒズボラの勃興)であ
り、90年代のオサマ・ビンラディンらによる活動だっ
たと考えられる。ホメイニがCIAとつながっていたの
と同様、ビンラディンもCIAとのつながりがたびたび
指摘された。正確には「CIAのふりをしたモサド(イ
スラエル諜報機関)」と言うべきかもしれない。
90年代には、冷戦終結に加え、英が軍産複合体を見
捨てて金融面で米と結託する新戦略に転じたことにより、
一時的にイスラム対欧米の第2冷戦構造の強化は止まっ
たが、90年代後半の「文明の衝突」のキーワード発布
あたりから再びイスラム対欧米の構図が取り沙汰され、
911事件とともに、テロ戦争として劇的に復活した。
2008年8月11日月曜日
American Hero.... 2
▼人質事件でホメイニを反米化
当時の事情をよく知る人々の中からは「シャーが米に
亡命した時には、すでに米当局とイランのイスラム聖職
者勢力との間で、新政権に関する話し合いができていた」
「イラン革命政府は、米が革命を支援していたことを隠
している」との指摘が出ている。革命前、シャーはイス
ラム聖職者集団に接近し、対立回避策を試みたが、同時
期には米当局も聖職者に接近し、非公然に革命を煽るこ
とをやっている。
ホメイニは米からの非公式な支援を受け、イスラム革
命を成功させたが、革命から7カ月後、革命派の学生ら
がテヘランの米大使館を人質を取って占拠した後、米イ
ラン関係は悪化し、ホメイニは米を敵視する態度をとる
ようになった。米大使館占拠は革命発生直後にも起き、
ホメイニは一貫して革命派による米大使館占拠に強く反
対していた。しかし、2度目の占拠が長引き、米議会で
イラン制裁が議論され、米軍ヘリコプター部隊が秘密裏
にイランに侵攻して人質救出を試みたが失敗するといっ
た敵対行為が増す中で、ホメイニ政権は反米姿勢を強め
た。
米大使館の人質解放までには約1年かかったが、この
間、米では大統領選挙があり、軍産複合体が推す共和党
レーガンが勝った。1980年10月の選挙前には、副
大統領候補だったパパブッシュがパリに行き、イランの
ホメイニ側近と会い、レーガン陣営が勝ったら人質を解
放するとの約束を得て、人質解放に失敗し続ける現職の
民主党カーターとの違いを鮮明化し、選挙戦を有利に進
めた(10月サプライズ事件)。
レーガンは就任後、ソ連に対する敵視を再燃させたり、
巨額予算がかかるミサイル防衛計画を開始したりして米
の軍事費を急増させ、軍産複合体を潤わせた(政権末期
には、ゴルバチョフと対談して冷戦を終わらせるという、
反軍産的な挙に出たが)。
当時の事情をよく知る人々の中からは「シャーが米に
亡命した時には、すでに米当局とイランのイスラム聖職
者勢力との間で、新政権に関する話し合いができていた」
「イラン革命政府は、米が革命を支援していたことを隠
している」との指摘が出ている。革命前、シャーはイス
ラム聖職者集団に接近し、対立回避策を試みたが、同時
期には米当局も聖職者に接近し、非公然に革命を煽るこ
とをやっている。
ホメイニは米からの非公式な支援を受け、イスラム革
命を成功させたが、革命から7カ月後、革命派の学生ら
がテヘランの米大使館を人質を取って占拠した後、米イ
ラン関係は悪化し、ホメイニは米を敵視する態度をとる
ようになった。米大使館占拠は革命発生直後にも起き、
ホメイニは一貫して革命派による米大使館占拠に強く反
対していた。しかし、2度目の占拠が長引き、米議会で
イラン制裁が議論され、米軍ヘリコプター部隊が秘密裏
にイランに侵攻して人質救出を試みたが失敗するといっ
た敵対行為が増す中で、ホメイニ政権は反米姿勢を強め
た。
米大使館の人質解放までには約1年かかったが、この
間、米では大統領選挙があり、軍産複合体が推す共和党
レーガンが勝った。1980年10月の選挙前には、副
大統領候補だったパパブッシュがパリに行き、イランの
ホメイニ側近と会い、レーガン陣営が勝ったら人質を解
放するとの約束を得て、人質解放に失敗し続ける現職の
民主党カーターとの違いを鮮明化し、選挙戦を有利に進
めた(10月サプライズ事件)。
レーガンは就任後、ソ連に対する敵視を再燃させたり、
巨額予算がかかるミサイル防衛計画を開始したりして米
の軍事費を急増させ、軍産複合体を潤わせた(政権末期
には、ゴルバチョフと対談して冷戦を終わらせるという、
反軍産的な挙に出たが)。
2008年8月7日木曜日
American hero.......!
▼軍産英複合体に世界戦略を牛耳られた米
当時の米は、世界に対する覇権(世界運営権)を、
第二次大戦を機に英から引き継いだ後、間もなかった。
米は第一次大戦時、英がドイツに負けそうになるまで
参戦せず、英が独に負けるかもしれないとなった時点
で、英がそれまで持っていた覇権を自由化する(事実
上、英の覇権を米が引き継ぐ)ことを条件に、参戦を
決めた。参戦前に米が発表した「ウィルソン大統領の
14カ条」(植民地の独立、外交の公開化、国際連盟
の設立など)が、覇権を引き継いだ後の米の方針を表
していた。
(覇権とは、18世紀の産業革命後、交通の発達によ
って世界が一体的な政治システムになった後、最強だ
った英が、外交・諜報・軍事の技能を駆使して、他国
を騙したりそそのかしたり共倒れさせたりしつつ、英
にとって好都合な政治システムを維持した能力のこと。
19世紀後半、工業化の進展によって、英は衰退し、
米独が台頭したが、依然として世界の政治システムは
英が動かし続け、世界経済の発展より英の国力維持が
重視されて、英覇権のマイナス面が拡大していた。米
は、国際連盟などの新組織を作り、英が隠然と独占し
ていた覇権の自由化・機関化を実現しようとした)
しかし、米の参戦で独は休戦に応じ、ベルサイユ講
和会議が開かれて国際連盟の設立も決まったが、そこ
でのルール作りは、外交経験が長く狡猾な英に牛耳ら
れ、米の思うようにならず、米は国際連盟に参加しな
かった。英の裏切りに立腹した米側は第一次大戦後、
欧州の政治に関与しない不干渉主義(孤立主義)をと
った。1930年代からナチス政権になった独が再び
領土拡張主義によって欧州大陸諸国を次々に占領して
いっても、米は超然と看過し続けた。
そして、独が欧州大陸をすべて征服し、次は英に侵
攻するという時になって、米は英からの参戦要請をよ
うやく受けされた。その際の条件は、第一次大戦後に
米を騙して英が保有し続けた世界覇権を、今度は間違
いなく米に譲渡することだった。この合意の中の建前
部分は、1941年の米参戦前に、米英首脳会談後の
大西洋憲章として表明された。
第二次大戦後、英の覇権は米に委譲され、イランな
ど、英に支配されていた地域には、米が入ってきた。
米は1856年からイランと国交があったが、初めて
大使級の代表をテヘランに常駐させたのは1944年
で、その後1948年にかけてテヘランの米大使館の
要員が急増した。英の支配は、イランで石油を掘って
英に持ち帰ることが主眼だったが、米(ニューヨーク
の投資家)は、イランに国民経済を作り、そこに投資
して儲けることを考えていた(投資の利回りが最も高
いのは、国民経済ができて工業化が進み、国民消費が
拡大し続ける高度成長期である)。そのため、米はイ
ランの政治体制を民主的に強化し、モサデクを支援し
て、イランが国力をつける方向に誘導しようとした。
英は、主に欧州列強内部の均衡を重視し、列強が世
界を分割支配する欧米中心型の「小均衡」の政治シス
テムを作っていたが、米はそこにソ連や中国、その他
の非欧米諸国を参加させる多極型の「大均衡」をめざ
した。米は世界中の途上国で、民主主義やナショナリ
ズムを鼓舞しようとした。
とはいえ、覇権国を引退したかに見える英は、実は
しぶとかった。1947年、英は米の軍事産業やマス
コミをたきつけ、ソ連に対する脅威感を煽り、冷戦の
対立状態を作った。米の軍事産業は第二次大戦で大儲
けしたが、戦後は受注が減って困っていた。英は、米
軍事産業のために、米ソ冷戦体制の長期構想を作って
やり、米国防総省は第二次大戦で発動されていた米マ
スコミの有事プロパガンダのメカニズムを復活させて
ソ連の脅威を煽り、米議会では好戦派が活気づいて赤
狩りを開始した。1950年の朝鮮戦争で冷戦はアジ
アにも拡大し、53年に朝鮮戦争が停戦する時には、
38度線を境に米と中国が激しく対立する構図が作ら
れていた。
米軍事産業と国防総省、好戦派の政界、マスコミな
どが、準戦時体制の冷戦を延々と続けるために結託し、
隠然と米政府を牛耳っている状態を「軍産複合体」と
初めて呼んだのは、1961年に任期満了の辞任演説
をしたアイゼンハワーだったが、軍産複合体によって
最初に引っかけられた大統領は、アイゼンハワー自身
である。就任2週間後に、英側と協議してモサデク転
覆を決めたのは彼だった。軍産複合体の後ろには、冷
戦構想のアイデアやノウハウを供給した英(米各界に
入り込んでいる英諜報機関MI6)がいると考えられ
るので「軍産英複合体」(70年代以降は、イスラエ
ルも参加したので「軍産英イスラエル複合体」)と呼
ぶべきである。
軍産英複合体は、米の外交戦略を、軍事偏重に動か
すと同時に、英の国益に合う形に動かした。イランで
は、モサデクが転覆させられ、英傀儡のシャーが復権
した。米が世界中で軍事費を使い続ける状態にするに
は、世界中の人々が反米感情を持ち、常に米の覇権に
挑戦してくる状況の方が良い。そのため、米を牛耳る
軍産英複合体は、世界中で人々に嫌われる内政干渉を
意図的に繰り返した。
早期のケースとしては、1945年に米軍が韓国に
軍政を敷いたとき、韓国人が結成した政治組織をすべ
て解散させたことがある。政党禁止の表向きの理由は、
左翼が多かったからだったが、民主的な政治活動を許
されると思っていた韓国人は激怒し、むしろ反米左翼
の傾向を強め、1950年に北の金日成が南侵してく
る原因を作った。現在まで60年間、韓国人は反米で
あり続け、米軍は韓国に駐留し続けている。
軍産英複合体が反米感情の育成に特に努めた地域の
一つは、中南米である。中南米が親米的な地域になる
と、米と中南米諸国との経済・政治の関係性が強まり、
米はユーラシア大陸に関与しなくても、南北米州の中
だけで十分に発展できるようになり、英が目論む「米
を牛耳って英好みの世界支配を続けさせる」という長
期戦略が破綻してしまう。中南米で、反米ゲリラが活
躍して米軍が延々と介入せざるを得ず、経済も悪い状
態が続く限り、米は南北米州だけを重視することはで
きず、ユーラシアに関与し続ける。・・・・なるほど。
当時の米は、世界に対する覇権(世界運営権)を、
第二次大戦を機に英から引き継いだ後、間もなかった。
米は第一次大戦時、英がドイツに負けそうになるまで
参戦せず、英が独に負けるかもしれないとなった時点
で、英がそれまで持っていた覇権を自由化する(事実
上、英の覇権を米が引き継ぐ)ことを条件に、参戦を
決めた。参戦前に米が発表した「ウィルソン大統領の
14カ条」(植民地の独立、外交の公開化、国際連盟
の設立など)が、覇権を引き継いだ後の米の方針を表
していた。
(覇権とは、18世紀の産業革命後、交通の発達によ
って世界が一体的な政治システムになった後、最強だ
った英が、外交・諜報・軍事の技能を駆使して、他国
を騙したりそそのかしたり共倒れさせたりしつつ、英
にとって好都合な政治システムを維持した能力のこと。
19世紀後半、工業化の進展によって、英は衰退し、
米独が台頭したが、依然として世界の政治システムは
英が動かし続け、世界経済の発展より英の国力維持が
重視されて、英覇権のマイナス面が拡大していた。米
は、国際連盟などの新組織を作り、英が隠然と独占し
ていた覇権の自由化・機関化を実現しようとした)
しかし、米の参戦で独は休戦に応じ、ベルサイユ講
和会議が開かれて国際連盟の設立も決まったが、そこ
でのルール作りは、外交経験が長く狡猾な英に牛耳ら
れ、米の思うようにならず、米は国際連盟に参加しな
かった。英の裏切りに立腹した米側は第一次大戦後、
欧州の政治に関与しない不干渉主義(孤立主義)をと
った。1930年代からナチス政権になった独が再び
領土拡張主義によって欧州大陸諸国を次々に占領して
いっても、米は超然と看過し続けた。
そして、独が欧州大陸をすべて征服し、次は英に侵
攻するという時になって、米は英からの参戦要請をよ
うやく受けされた。その際の条件は、第一次大戦後に
米を騙して英が保有し続けた世界覇権を、今度は間違
いなく米に譲渡することだった。この合意の中の建前
部分は、1941年の米参戦前に、米英首脳会談後の
大西洋憲章として表明された。
第二次大戦後、英の覇権は米に委譲され、イランな
ど、英に支配されていた地域には、米が入ってきた。
米は1856年からイランと国交があったが、初めて
大使級の代表をテヘランに常駐させたのは1944年
で、その後1948年にかけてテヘランの米大使館の
要員が急増した。英の支配は、イランで石油を掘って
英に持ち帰ることが主眼だったが、米(ニューヨーク
の投資家)は、イランに国民経済を作り、そこに投資
して儲けることを考えていた(投資の利回りが最も高
いのは、国民経済ができて工業化が進み、国民消費が
拡大し続ける高度成長期である)。そのため、米はイ
ランの政治体制を民主的に強化し、モサデクを支援し
て、イランが国力をつける方向に誘導しようとした。
英は、主に欧州列強内部の均衡を重視し、列強が世
界を分割支配する欧米中心型の「小均衡」の政治シス
テムを作っていたが、米はそこにソ連や中国、その他
の非欧米諸国を参加させる多極型の「大均衡」をめざ
した。米は世界中の途上国で、民主主義やナショナリ
ズムを鼓舞しようとした。
とはいえ、覇権国を引退したかに見える英は、実は
しぶとかった。1947年、英は米の軍事産業やマス
コミをたきつけ、ソ連に対する脅威感を煽り、冷戦の
対立状態を作った。米の軍事産業は第二次大戦で大儲
けしたが、戦後は受注が減って困っていた。英は、米
軍事産業のために、米ソ冷戦体制の長期構想を作って
やり、米国防総省は第二次大戦で発動されていた米マ
スコミの有事プロパガンダのメカニズムを復活させて
ソ連の脅威を煽り、米議会では好戦派が活気づいて赤
狩りを開始した。1950年の朝鮮戦争で冷戦はアジ
アにも拡大し、53年に朝鮮戦争が停戦する時には、
38度線を境に米と中国が激しく対立する構図が作ら
れていた。
米軍事産業と国防総省、好戦派の政界、マスコミな
どが、準戦時体制の冷戦を延々と続けるために結託し、
隠然と米政府を牛耳っている状態を「軍産複合体」と
初めて呼んだのは、1961年に任期満了の辞任演説
をしたアイゼンハワーだったが、軍産複合体によって
最初に引っかけられた大統領は、アイゼンハワー自身
である。就任2週間後に、英側と協議してモサデク転
覆を決めたのは彼だった。軍産複合体の後ろには、冷
戦構想のアイデアやノウハウを供給した英(米各界に
入り込んでいる英諜報機関MI6)がいると考えられ
るので「軍産英複合体」(70年代以降は、イスラエ
ルも参加したので「軍産英イスラエル複合体」)と呼
ぶべきである。
軍産英複合体は、米の外交戦略を、軍事偏重に動か
すと同時に、英の国益に合う形に動かした。イランで
は、モサデクが転覆させられ、英傀儡のシャーが復権
した。米が世界中で軍事費を使い続ける状態にするに
は、世界中の人々が反米感情を持ち、常に米の覇権に
挑戦してくる状況の方が良い。そのため、米を牛耳る
軍産英複合体は、世界中で人々に嫌われる内政干渉を
意図的に繰り返した。
早期のケースとしては、1945年に米軍が韓国に
軍政を敷いたとき、韓国人が結成した政治組織をすべ
て解散させたことがある。政党禁止の表向きの理由は、
左翼が多かったからだったが、民主的な政治活動を許
されると思っていた韓国人は激怒し、むしろ反米左翼
の傾向を強め、1950年に北の金日成が南侵してく
る原因を作った。現在まで60年間、韓国人は反米で
あり続け、米軍は韓国に駐留し続けている。
軍産英複合体が反米感情の育成に特に努めた地域の
一つは、中南米である。中南米が親米的な地域になる
と、米と中南米諸国との経済・政治の関係性が強まり、
米はユーラシア大陸に関与しなくても、南北米州の中
だけで十分に発展できるようになり、英が目論む「米
を牛耳って英好みの世界支配を続けさせる」という長
期戦略が破綻してしまう。中南米で、反米ゲリラが活
躍して米軍が延々と介入せざるを得ず、経済も悪い状
態が続く限り、米は南北米州だけを重視することはで
きず、ユーラシアに関与し続ける。・・・・なるほど。
2008年8月6日水曜日
the true thinking of American gavament....?
▼石油利権が目的ではなかった米
米はなぜ、それまでのナショナリズム擁護の方針
を一挙に捨て、人々に嫌われて当然の政権転覆作戦
を露骨に展開したのだろうか。ここが、理解困難な
点である。
一つの考え方として、米がモサデク転覆の見返り
に石油利権を得た点を重視し、アイゼンハワー政権
は米の石油業界からの要求に応じて、それまでの米
の親モサデクの態度を大転換して英の政権転覆作戦
に協力したのだという見方がある。しかし当時の米
石油産業は、イランの石油利権を特に必要としてい
なかった。米企業に石油利権が分配されたのは、米
業界の要求の結果ではない。むしろ英から米に対す
る政治的配慮の結果である。
モサデクはイラン共産党に接近していたので、転
覆が必要だったという説明、もしくは英が米に対し
てイラン共産党の脅威を誇張して伝えて騙したとい
う説明も存在するが、これらも事実と違う。当時の
米CIAの主流は、モサデクは親共産党ではないし、
イラン共産党には政権を狙うほどの力はないと分析
していた。
米は、1953年にモサデクを転覆したのを皮切
りに、54年にはグアテマラの左翼政権を転覆し、
73年にはチリの左翼政権を転覆した。米が、いわ
ゆる「反共の汚い作戦」をやり出したのは、53年
のイランが最初だった。米はこの手の作戦を、89
年に冷戦が終わるまであちこちで展開し、冷戦後は
911事件を機に、こんどは「テロ戦争」の名目で、
似たような政権転覆戦略を再開している。
米はなぜ、それまでのナショナリズム擁護の方針
を一挙に捨て、人々に嫌われて当然の政権転覆作戦
を露骨に展開したのだろうか。ここが、理解困難な
点である。
一つの考え方として、米がモサデク転覆の見返り
に石油利権を得た点を重視し、アイゼンハワー政権
は米の石油業界からの要求に応じて、それまでの米
の親モサデクの態度を大転換して英の政権転覆作戦
に協力したのだという見方がある。しかし当時の米
石油産業は、イランの石油利権を特に必要としてい
なかった。米企業に石油利権が分配されたのは、米
業界の要求の結果ではない。むしろ英から米に対す
る政治的配慮の結果である。
モサデクはイラン共産党に接近していたので、転
覆が必要だったという説明、もしくは英が米に対し
てイラン共産党の脅威を誇張して伝えて騙したとい
う説明も存在するが、これらも事実と違う。当時の
米CIAの主流は、モサデクは親共産党ではないし、
イラン共産党には政権を狙うほどの力はないと分析
していた。
米は、1953年にモサデクを転覆したのを皮切
りに、54年にはグアテマラの左翼政権を転覆し、
73年にはチリの左翼政権を転覆した。米が、いわ
ゆる「反共の汚い作戦」をやり出したのは、53年
のイランが最初だった。米はこの手の作戦を、89
年に冷戦が終わるまであちこちで展開し、冷戦後は
911事件を機に、こんどは「テロ戦争」の名目で、
似たような政権転覆戦略を再開している。
2008年8月5日火曜日
America caused Iran revolution......
▼共和党政権になって米の態度が一変
米の親モサデクの態度は、1953年に米大
統領が民主党のトルーマンから、共和党のアイ
ゼンハワーに交代するとともに一転した。53
年2月、就任2週間後のアイゼンハワーは、英
側との会議を開き、 secret裏にモサデク政権の転
覆strategyを決定した。米のCIAなどは冷戦開始
後の1948年から、イランのマスコミが反共
産主義のプロパガンダを報じるよう隠然と仕組
むBEDAMNと呼ばれる秘密作戦を続けてい
たが、その標的は共産党からモサデクに替わっ
た。
モサデク政権転覆は、米ではなく英にとって
非常に都合の良いことだったが、作戦は主にC
IAによって展開された。イランは油田を国有
化したものの、英による制裁によって産油量は
激減し、石油輸出に頼っていたイランeconomicは1
952-53年、急速に悪化した。議会ではモ
サデクに経済悪化の責任を問う勢力が拡大した。
米側は、議員の一人である元軍人のザヘディ(
Fazlollah Zahedi)を、モサデク追放後の
首相として据えることに決め、ザヘディを取り
込んだ。
そして1953年8月、モサデクとシャーの
対立が決定的となって、シャーはモサデク解任
を発表して亡命し、モサデク派とシャー派がイ
ラン各地で激突する中で、CIA主導のクーデ
ターが決行され、モサデクはイラン国軍によっ
て逮捕され、シャーは亡命から帰還し、モサデ
クの代わりにザヘディを首相に任命した。
ザヘディは英と石油の協約を再締結したが、
契約相手は以前の英BP単独ではなく、米石油
会社が石油利権の4割を取り、米英の合計8社
が参画するコンソーシアム型の新契約となった。
英は、米がモサデク転覆に協力した見返りとし
て、米にイランの石油利権の4割を、報酬とし
て支払ったことになる。
米はクーデターの最中、ザヘディが不利にな
るとテヘラン市内のCIAの隠れ家に匿ったり、
騒乱をイラン共産党のせいにするため、共産党
支持者のふりをしたニセのデモ隊を結成して行
進させるなど、露骨な内政干渉を行い、民主的
に選出されたモサデク政権を転覆した。この事
件を機に、イランにおける米のイメージは、正
義の味方から悪の化身に急落し、イラン人に反
米感情を植え付けた。この反米感情は、197
9年のイスラム革命につながった。
米の親モサデクの態度は、1953年に米大
統領が民主党のトルーマンから、共和党のアイ
ゼンハワーに交代するとともに一転した。53
年2月、就任2週間後のアイゼンハワーは、英
側との会議を開き、 secret裏にモサデク政権の転
覆strategyを決定した。米のCIAなどは冷戦開始
後の1948年から、イランのマスコミが反共
産主義のプロパガンダを報じるよう隠然と仕組
むBEDAMNと呼ばれる秘密作戦を続けてい
たが、その標的は共産党からモサデクに替わっ
た。
モサデク政権転覆は、米ではなく英にとって
非常に都合の良いことだったが、作戦は主にC
IAによって展開された。イランは油田を国有
化したものの、英による制裁によって産油量は
激減し、石油輸出に頼っていたイランeconomicは1
952-53年、急速に悪化した。議会ではモ
サデクに経済悪化の責任を問う勢力が拡大した。
米側は、議員の一人である元軍人のザヘディ(
Fazlollah Zahedi)を、モサデク追放後の
首相として据えることに決め、ザヘディを取り
込んだ。
そして1953年8月、モサデクとシャーの
対立が決定的となって、シャーはモサデク解任
を発表して亡命し、モサデク派とシャー派がイ
ラン各地で激突する中で、CIA主導のクーデ
ターが決行され、モサデクはイラン国軍によっ
て逮捕され、シャーは亡命から帰還し、モサデ
クの代わりにザヘディを首相に任命した。
ザヘディは英と石油の協約を再締結したが、
契約相手は以前の英BP単独ではなく、米石油
会社が石油利権の4割を取り、米英の合計8社
が参画するコンソーシアム型の新契約となった。
英は、米がモサデク転覆に協力した見返りとし
て、米にイランの石油利権の4割を、報酬とし
て支払ったことになる。
米はクーデターの最中、ザヘディが不利にな
るとテヘラン市内のCIAの隠れ家に匿ったり、
騒乱をイラン共産党のせいにするため、共産党
支持者のふりをしたニセのデモ隊を結成して行
進させるなど、露骨な内政干渉を行い、民主的
に選出されたモサデク政権を転覆した。この事
件を機に、イランにおける米のイメージは、正
義の味方から悪の化身に急落し、イラン人に反
米感情を植え付けた。この反米感情は、197
9年のイスラム革命につながった。
2008年8月4日月曜日
Do you know this thing......
モサデクは1949年に、英から石油利権の奪還をめざす
政党「国民戦線」を結成し、議会で勢力を拡大したが、その
背景には国民ばかりでなく、もう一つ支持勢力が存在してい
た。それはアメリカだった。アメリカは第2次大戦前から、
アジア・アフリカの多くの国々のナショナリズムや独立運動
を支援し、中東ではイランのほか、エジプトで汎アラブ・ナ
ショナリズムを提唱するナセル大統領に対する支援も行って
いた。
米政府は戦時中、1941年にイランが英ソに占領され、
連合国側の支配下に置かれた後、イランの国家建設に協力す
るようになった。1947年に米ソ冷戦が始まってからは、
ソ連と隣接するイランは米にとって急に重要となった。イラ
ンの警察隊を訓練するために米政府が派遣したノーマン・シ
ュワルツコフらは、イランの政治勢力に対するナショナリズ
ムの鼓舞を行い、モサデクらのナショナリズム政党がイラン
政界で勢力を拡大し、親ソ連の共産党の伸張を防いだ。
民意とアメリカの後押しで、イランでの石油利権の奪還運
動は強まった。米の石油会社アラムコは、サウジアラビアの
石油利権を持っていたが、同社は1950年、サウジ側との
石油利権を50対50の折半にする契約改定に同意し、サウ
ジ側の取り分は急増した。これを見て、イラン政府は英に同
様の改定を求めたが、英は拒否した。シャーもそれ以上の交
渉を否定したため、イランでは暴動が起こり、シャーは19
51年にモサデクを首相に任命せざるを得なくなった。モサ
デクは首相に就任した直後、石油産業の国有化を宣言した上
で、英に再交渉を要求した。
英は交渉を拒否し、イランでの石油操業を停止した。英側
は石油会社の従業員を引き揚げるとともに、イランが油田を
国有化して産油しても世界に売れないよう、同盟国にイラン
の石油を買わないよう頼むなど、イランに対する経済制裁を
発動した。
だが米は、モサデクを憎悪する英と対照的に、モサデクを
支持し続けた。英軍は1951年、イラン南部に侵攻して油
田を軍事的に接収することを検討したが、米に反対され、あ
きらめた。第2次大戦後の英は、戦争で疲弊して国家破綻状
態で、米の協力なしには軍事行動できない状態だった。米は、
イランと英との再交渉を仲裁しようとしたが、英の強硬さゆ
えに失敗した。米国務省は、英の態度を批判する声明を出し
た。
英とイランの石油紛争は国連に持ち込まれ、モサデクはニ
ューヨークの国連本部で演説したが、この際、米政府代表は
モサデクを大歓迎した。国連参加の発展途上国の多くが、旧
態依然の英の支配と果敢に戦うモサデクを賞賛した。日本も
対米従属だったがゆえに、英の制止を無視し、出光興産がイ
ランから石油を買い付けた(日章丸事件)。
政党「国民戦線」を結成し、議会で勢力を拡大したが、その
背景には国民ばかりでなく、もう一つ支持勢力が存在してい
た。それはアメリカだった。アメリカは第2次大戦前から、
アジア・アフリカの多くの国々のナショナリズムや独立運動
を支援し、中東ではイランのほか、エジプトで汎アラブ・ナ
ショナリズムを提唱するナセル大統領に対する支援も行って
いた。
米政府は戦時中、1941年にイランが英ソに占領され、
連合国側の支配下に置かれた後、イランの国家建設に協力す
るようになった。1947年に米ソ冷戦が始まってからは、
ソ連と隣接するイランは米にとって急に重要となった。イラ
ンの警察隊を訓練するために米政府が派遣したノーマン・シ
ュワルツコフらは、イランの政治勢力に対するナショナリズ
ムの鼓舞を行い、モサデクらのナショナリズム政党がイラン
政界で勢力を拡大し、親ソ連の共産党の伸張を防いだ。
民意とアメリカの後押しで、イランでの石油利権の奪還運
動は強まった。米の石油会社アラムコは、サウジアラビアの
石油利権を持っていたが、同社は1950年、サウジ側との
石油利権を50対50の折半にする契約改定に同意し、サウ
ジ側の取り分は急増した。これを見て、イラン政府は英に同
様の改定を求めたが、英は拒否した。シャーもそれ以上の交
渉を否定したため、イランでは暴動が起こり、シャーは19
51年にモサデクを首相に任命せざるを得なくなった。モサ
デクは首相に就任した直後、石油産業の国有化を宣言した上
で、英に再交渉を要求した。
英は交渉を拒否し、イランでの石油操業を停止した。英側
は石油会社の従業員を引き揚げるとともに、イランが油田を
国有化して産油しても世界に売れないよう、同盟国にイラン
の石油を買わないよう頼むなど、イランに対する経済制裁を
発動した。
だが米は、モサデクを憎悪する英と対照的に、モサデクを
支持し続けた。英軍は1951年、イラン南部に侵攻して油
田を軍事的に接収することを検討したが、米に反対され、あ
きらめた。第2次大戦後の英は、戦争で疲弊して国家破綻状
態で、米の協力なしには軍事行動できない状態だった。米は、
イランと英との再交渉を仲裁しようとしたが、英の強硬さゆ
えに失敗した。米国務省は、英の態度を批判する声明を出し
た。
英とイランの石油紛争は国連に持ち込まれ、モサデクはニ
ューヨークの国連本部で演説したが、この際、米政府代表は
モサデクを大歓迎した。国連参加の発展途上国の多くが、旧
態依然の英の支配と果敢に戦うモサデクを賞賛した。日本も
対米従属だったがゆえに、英の制止を無視し、出光興産がイ
ランから石油を買い付けた(日章丸事件)。
2008年8月3日日曜日
The Iranian revolution was by America......????
イランの現代史を見るとき、理解が困難な大事件が
2つある。一つは1953年に米英がモサデク政権を
失脚させた事件。二つめは、1979年のイラン革命
(イスラム革命)である。
1940年代までイランでは、イギリスがイラン国
王(シャー)を傀儡化し、イランの石油利権のうち1
6%しかイラン側に渡さず、残りの84%が英石油会
社(アングロ・イラニアン。今のBP)に入る仕掛け
が作られていた。英は1901年にイランの石油利権
を得た後、イランの王室を傀儡化した。ロシア革命後
の1920年に、ソ連の赤軍がイランに侵攻し、当時
の王室(カジャール朝)が抗戦しきれないと見るや、
イギリスはイラン軍の有力な司令官だったレザ・ハー
ンにクーデターを起こさせて政権転覆し、ハーンは1
925年に国王(シャー)になり、パーレビ王朝を開
始した。
その後、1930年代にナチス政権のドイツがイラ
ンの石油利権を狙い、イギリスより有利な条件を提示
したため、シャーは親独に傾いた。1941年に第二
次大戦が始まると、イギリスはソ連と組んでイランを
占領し、ドイツ寄りのシャーを強制退位させ、息子の
モハメド・レザ・パーレビ皇太子を王位につけた。シ
ャーは、英のイラン統治の道具だった。
第2次大戦後、世界的にナショナリズム運動が強ま
る中、イランでも、イギリスから石油利権を取り戻す
ことが、イランの政治家たちの目標となった。だが、
イギリスの支配力を背景に王位を維持していたシャー
は、英と交渉して石油利権の奪還を目指すことなどで
きなかった。イラン政界では、議会がシャーの権力を
削いで、英と再交渉する力をつけることが目標となっ
た。
この動きの主導者の一人が、1953年に米英に失
脚させられることになったモハマド・モサデクだった。
モサデクは、カジャール前王朝の親戚にあたる貴族だ
ったが、政治家としてはナショナリズムと民主主義、
イギリスからの完全独立を明確に主張し、国民の人気
は高かった。彼は失脚後、自宅軟禁状態で60年代に
死んだが、現在のイランでも彼を慕う人は多い。
2つある。一つは1953年に米英がモサデク政権を
失脚させた事件。二つめは、1979年のイラン革命
(イスラム革命)である。
1940年代までイランでは、イギリスがイラン国
王(シャー)を傀儡化し、イランの石油利権のうち1
6%しかイラン側に渡さず、残りの84%が英石油会
社(アングロ・イラニアン。今のBP)に入る仕掛け
が作られていた。英は1901年にイランの石油利権
を得た後、イランの王室を傀儡化した。ロシア革命後
の1920年に、ソ連の赤軍がイランに侵攻し、当時
の王室(カジャール朝)が抗戦しきれないと見るや、
イギリスはイラン軍の有力な司令官だったレザ・ハー
ンにクーデターを起こさせて政権転覆し、ハーンは1
925年に国王(シャー)になり、パーレビ王朝を開
始した。
その後、1930年代にナチス政権のドイツがイラ
ンの石油利権を狙い、イギリスより有利な条件を提示
したため、シャーは親独に傾いた。1941年に第二
次大戦が始まると、イギリスはソ連と組んでイランを
占領し、ドイツ寄りのシャーを強制退位させ、息子の
モハメド・レザ・パーレビ皇太子を王位につけた。シ
ャーは、英のイラン統治の道具だった。
第2次大戦後、世界的にナショナリズム運動が強ま
る中、イランでも、イギリスから石油利権を取り戻す
ことが、イランの政治家たちの目標となった。だが、
イギリスの支配力を背景に王位を維持していたシャー
は、英と交渉して石油利権の奪還を目指すことなどで
きなかった。イラン政界では、議会がシャーの権力を
削いで、英と再交渉する力をつけることが目標となっ
た。
この動きの主導者の一人が、1953年に米英に失
脚させられることになったモハマド・モサデクだった。
モサデクは、カジャール前王朝の親戚にあたる貴族だ
ったが、政治家としてはナショナリズムと民主主義、
イギリスからの完全独立を明確に主張し、国民の人気
は高かった。彼は失脚後、自宅軟禁状態で60年代に
死んだが、現在のイランでも彼を慕う人は多い。
2008年8月2日土曜日
a Martian...!!!!
米航空宇宙局(NASA)とアリゾナ大などは7月31日、
火星の水を確認したと発表した。無人探査機フェニックスが
採取した土を加熱したら、水と同じ融点の物質が含まれてお
り、微量の水蒸気の放出も確認できた。
フェニックスは6月に撮影した写真の分析から、地表のす
ぐ下に氷があることを確認していた。今回、それが水が凍っ
たものだという「証拠固め」ができた。
フェニックスは、火星の地表を掘り返して採取した土を加
熱して、放出されるガスを分析するとともに、サンプルの融
点や沸点も測っている。
氷を加熱すると、地球上の1気圧の条件では0度で融点に
達し、急に温度があがりにくくなる。今回、深さ5センチの
ところから採った土を加熱する実験で、同様の現象が起こり、
水蒸気も放出された。
ただし、加熱したサンプルに含まれる水分は少なく、数%
とみられている。
研究チームのウィリアム・ボイントン・アリゾナ大教授は
「融点の確認も水蒸気の放出もどちらも重要。片方だけでも
水の確認になると考えている」としている。
やはり、水の存在が明らかになったということは、生物の
存在の可能性がグ~ンと高まった訳だ。
火星の水を確認したと発表した。無人探査機フェニックスが
採取した土を加熱したら、水と同じ融点の物質が含まれてお
り、微量の水蒸気の放出も確認できた。
フェニックスは6月に撮影した写真の分析から、地表のす
ぐ下に氷があることを確認していた。今回、それが水が凍っ
たものだという「証拠固め」ができた。
フェニックスは、火星の地表を掘り返して採取した土を加
熱して、放出されるガスを分析するとともに、サンプルの融
点や沸点も測っている。
氷を加熱すると、地球上の1気圧の条件では0度で融点に
達し、急に温度があがりにくくなる。今回、深さ5センチの
ところから採った土を加熱する実験で、同様の現象が起こり、
水蒸気も放出された。
ただし、加熱したサンプルに含まれる水分は少なく、数%
とみられている。
研究チームのウィリアム・ボイントン・アリゾナ大教授は
「融点の確認も水蒸気の放出もどちらも重要。片方だけでも
水の確認になると考えている」としている。
やはり、水の存在が明らかになったということは、生物の
存在の可能性がグ~ンと高まった訳だ。
2008年8月1日金曜日
What is the rate for a cellular phone call?
in the worldのmain cityでのthe rate for a cellular phone callを総務省が調べた
ところ、08年March末のTOKYOでの平均的な通話料
は前年より3割安くなった。国内の携帯通話料は国際水
準より割高とされてきたが、cellular company各社のservice competitionや
販売方法の変更によって割高感が薄らいできたようだ。
調査は、主要7都市の携帯利用者の平均通話時間を算
出。その利用時間でthe lowest price planを使った場
合を、円換算で試算した。
1分あたりの料金はロンドン(40.6円)が最も高
く、長時間話し放題の定額制が普及しているNEW YORK(10.9円)がthe lowest priceだった。東京(27.3円)は
ニューヨークやソウルなど3都市に次ぐ安さとなり、最
も高いロンドンに匹敵した1年前の料金から大幅に下が
った。
月額料金では、平均で157分通話するパリの6千円
が最も高く、55分だけのデュッセルドルフ(独)が1
600円で最も安かった。96分話す東京は前年の38
00円から2600円となり、ソウルとほぼ同水準にな
った。
通話料をめぐっては、競争が激化している。NTTdocomo
などが、携帯端末の価格を割引して、その分を電話
料金に上乗せする「端末販売奨励金」制度を一部で廃止
したことも、通話料の低下につながった。
ただ、料金プランの選び方などで通話料は大きく変動
する。総務省はこうした調査を活用し、携帯各社にさら
なる料金低下を促す考えだ。
ところ、08年March末のTOKYOでの平均的な通話料
は前年より3割安くなった。国内の携帯通話料は国際水
準より割高とされてきたが、cellular company各社のservice competitionや
販売方法の変更によって割高感が薄らいできたようだ。
調査は、主要7都市の携帯利用者の平均通話時間を算
出。その利用時間でthe lowest price planを使った場
合を、円換算で試算した。
1分あたりの料金はロンドン(40.6円)が最も高
く、長時間話し放題の定額制が普及しているNEW YORK(10.9円)がthe lowest priceだった。東京(27.3円)は
ニューヨークやソウルなど3都市に次ぐ安さとなり、最
も高いロンドンに匹敵した1年前の料金から大幅に下が
った。
月額料金では、平均で157分通話するパリの6千円
が最も高く、55分だけのデュッセルドルフ(独)が1
600円で最も安かった。96分話す東京は前年の38
00円から2600円となり、ソウルとほぼ同水準にな
った。
通話料をめぐっては、競争が激化している。NTTdocomo
などが、携帯端末の価格を割引して、その分を電話
料金に上乗せする「端末販売奨励金」制度を一部で廃止
したことも、通話料の低下につながった。
ただ、料金プランの選び方などで通話料は大きく変動
する。総務省はこうした調査を活用し、携帯各社にさら
なる料金低下を促す考えだ。
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