▼共和党政権になって米の態度が一変
米の親モサデクの態度は、1953年に米大
統領が民主党のトルーマンから、共和党のアイ
ゼンハワーに交代するとともに一転した。53
年2月、就任2週間後のアイゼンハワーは、英
側との会議を開き、 secret裏にモサデク政権の転
覆strategyを決定した。米のCIAなどは冷戦開始
後の1948年から、イランのマスコミが反共
産主義のプロパガンダを報じるよう隠然と仕組
むBEDAMNと呼ばれる秘密作戦を続けてい
たが、その標的は共産党からモサデクに替わっ
た。
モサデク政権転覆は、米ではなく英にとって
非常に都合の良いことだったが、作戦は主にC
IAによって展開された。イランは油田を国有
化したものの、英による制裁によって産油量は
激減し、石油輸出に頼っていたイランeconomicは1
952-53年、急速に悪化した。議会ではモ
サデクに経済悪化の責任を問う勢力が拡大した。
米側は、議員の一人である元軍人のザヘディ(
Fazlollah Zahedi)を、モサデク追放後の
首相として据えることに決め、ザヘディを取り
込んだ。
そして1953年8月、モサデクとシャーの
対立が決定的となって、シャーはモサデク解任
を発表して亡命し、モサデク派とシャー派がイ
ラン各地で激突する中で、CIA主導のクーデ
ターが決行され、モサデクはイラン国軍によっ
て逮捕され、シャーは亡命から帰還し、モサデ
クの代わりにザヘディを首相に任命した。
ザヘディは英と石油の協約を再締結したが、
契約相手は以前の英BP単独ではなく、米石油
会社が石油利権の4割を取り、米英の合計8社
が参画するコンソーシアム型の新契約となった。
英は、米がモサデク転覆に協力した見返りとし
て、米にイランの石油利権の4割を、報酬とし
て支払ったことになる。
米はクーデターの最中、ザヘディが不利にな
るとテヘラン市内のCIAの隠れ家に匿ったり、
騒乱をイラン共産党のせいにするため、共産党
支持者のふりをしたニセのデモ隊を結成して行
進させるなど、露骨な内政干渉を行い、民主的
に選出されたモサデク政権を転覆した。この事
件を機に、イランにおける米のイメージは、正
義の味方から悪の化身に急落し、イラン人に反
米感情を植え付けた。この反米感情は、197
9年のイスラム革命につながった。

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