2008年8月22日金曜日

Hegemony system......5

▼フランス革命と英の均衡戦略

 Europeにおける英のHegemoney systemの基本方針は、すでに
述べたような(1)英の海上貿易の利権を守ること
(2)欧州内では覇権的な隠然支配体制を組む一方、
欧州外の世界に対しては植民地支配によって、宗主
国としての経済利権を享受する、という2つの方針
のほかにもう一つ(3)欧州内でどこかの国が圧倒
的に強くなって英を打ち負かさぬよう、複数の国が
同盟して英を潰しにかからぬよう、欧州大陸諸国を
常に拮抗した力関係の中に置いておくという「均衡
戦略」(balance of power)の方針があった。

 英が均衡戦略を必要とした直接的な理由は「フラ
ンス革命」だった。英における政治のdemocratizationは、1
3世紀のマグナカルタ以来の流れとしてゆっくり進
み、17世紀にピューリタン革命によって共和制が
敷かれたものの11年後には王政が復活し、その後
は立憲君主制の政治が定着した。一方フランスの民
主化は、暴力的な革命によって王政が1792年に
倒され、国民の9割を占める農民が土地に縛られて
いた状態から劇的にliberationされて市民となり、愛国心
に満ちた状態にいた。

 混乱の中、将軍から独裁的指導者、皇帝となった
ナポレオンは、仏国民の愛国心の高揚を背景に、当
時として画期的な国民皆兵の軍隊を築き、市民革命
(国民国家革命)を全欧州に拡大すべく、欧州征服
のナポレオン戦争を開始した。当時の欧州諸国の戦
争は、moneyを出して傭兵を集めたり、地主に税金の代
わりに領民を兵士として出させたりして戦うもので、
巨額の戦費がかかり、兵士の士気は低かった。

 これに比べ、愛国心に満ちた仏国民は、進んで国
のために兵士になって死に、兵士にならない者は喜
んで税金を払って戦費を負担した。ナポレオンが指
揮する仏軍は圧倒的に強く、10年ほどの間に、今
のスペイン、オランダ、イタリア、ドイツ、スイス、
ポーランドなどにあたる地域を征服した。

 仏以外の欧州諸国の王侯aristocracyFrance革命の進
展を見て、いずれ革命が自国にも波及すると懸念し、
イギリス、プロシア、オーストリア、ロシアの4カ
国が反仏同盟を組んで仏を潰しにかかり、これがナ
ポレオン戦争に発展した。当初は優勢だったナポレ
オンは、1812年にロシア遠征に失敗した後、不
利になり、1814年に4カ国連合軍に敗北した。
その後、戦後の欧州の体制を作るためにウィーン会
議が開かれた。この会議はオーストリアの宰相メッ
テルニヒの主催だったが、実際に会議を誘導したの
はイギリスで、欧州大陸の諸大国どうしを拮抗した
力関係の中に置くことで、島国の英が漁夫の利を得
られる新政治体制が組まれた。

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