2008年8月12日火曜日

American Hero....3

▼イスラム主義を扇動し第2冷戦を画策

 シャーは米英の傀儡だったはずなのに、なぜ米当局は
シャーを追い出してイスラム主義者に政権を渡し、しか
もその後、大使館占拠事件の後始末でイスラム主義者の
反米感情を煽り、米自らがイランから追い出される展開
を作ったのか。

 それを考えるヒントになりそうなことをシャーが言っ
ている。シャーは革命前にイラクに側近を派遣し、当時
ホメイニをナジャフに亡命させていたイラク政府(バー
ス党政権)に対し、ホメイニを匿うとしっぺ返しを受け
ると警告した。シャー側近はイラク政府に「米は、中東
諸国の政治体制をイスラム主義に転換させようとしてい
る。CIAは今、ホメイニを使ってイランの政権転覆を
狙っているが、それが成功したら、米は次はイラクで、
バース党政権を転覆し、イスラム主義(シーア派)の政
権に変えようとするだろう」と警告した。

 イラク政府はホメイニへの警戒を強め、ホメイニは7
8年、米当局が接触しやすいパリに移動した。イラン革
命から半年後の79年7月、イラクでは副大統領だった
サダム・フセインがクーデターを起こし、穏健派を追い
出して大統領となり、外からの政権転覆策に対応できる
独裁体制を強化した。

 シャーの警告は、示唆に富んでいる。米は、中東全域
をイスラム主義に転換させる一環として、イランの政権
をイスラム主義に転換させたことになる。シーア派のイ
ラン革命から9カ月後の79年11月には、サウジアラ
ビアの聖地メッカの大モスクで、スンニ派イスラム過激
派による襲撃事件が起き、サウジのイスラム主義勢力が
王室に対する不満を強めていることが発露された。メッ
カでの襲撃事件に米当局が関与しているかどうかは全く
不明だが、79年以降、中東全域で反米的なイスラム主
義が強まったことは確かだ。

 軍産複合体を中心とする米当局が、中東で反米的なイ
スラム主義勢力を台頭することを扇動ないし歓迎したと
したら、その理由はおそらく、イスラム世界と欧米イス
ラエルが長期対立する「第2冷戦」の枠組みを作りたか
ったからだろう。当時、東西陣営間の冷戦は終わりつつ
あった。70年代初期の米ニクソン政権が、金ドル交換
停止によって西側陣営の経済基盤だったドル本位制を自
滅させるとともに、中国訪問や米ソ対話を行って冷戦終
結への方向性を作り、これは78年の米中国交正常化、
89年の米ソ冷戦終結宣言へとつながった。
軍産複合体には、長期的・世界的に敵対できる新たな敵
勢力が必要だった。

 ケネディ・ジョンソン・ニクソンの3代の政権による
ベトナム戦争の自滅的な惨敗の影響で、米政界では軍産
複合体に対する支持が減った。同時期には米の財政難悪
化で、米から財政支援を受けていた英の財政も破綻に瀕
し、英は1967年に海外(スエズ運河以東)の軍事基
地を全廃するなど、支配力が激減した。このような軍産
英複合体の弱体化の中で、かつて国連を作った米の拡大
均衡派(多極主義勢力)が盛り返し、冷戦終結の方向に
事態を動かした。

 苦境にあった軍産複合体を救ったのが、衰退する英の
跡継ぎのように70年代から米政界に食い込み出したイ
スラエル(シオニスト右派)で、彼らが考えたのが、欧
米イスラエルがイスラム世界と長期対立する第2冷戦
(今の呼び名はテロ戦争)の構造だった。その構造を作
り出すための一策が、79年のイスラム革命であり、8
0年代のレバノン戦争(シーア派ヒズボラの勃興)であ
り、90年代のオサマ・ビンラディンらによる活動だっ
たと考えられる。ホメイニがCIAとつながっていたの
と同様、ビンラディンもCIAとのつながりがたびたび
指摘された。正確には「CIAのふりをしたモサド(イ
スラエル諜報機関)」と言うべきかもしれない。

 90年代には、冷戦終結に加え、英が軍産複合体を見
捨てて金融面で米と結託する新戦略に転じたことにより、
一時的にイスラム対欧米の第2冷戦構造の強化は止まっ
たが、90年代後半の「文明の衝突」のキーワード発布
あたりから再びイスラム対欧米の構図が取り沙汰され、
911事件とともに、テロ戦争として劇的に復活した。

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