2008年8月11日月曜日

American Hero.... 2

▼人質事件でホメイニを反米化

 当時の事情をよく知る人々の中からは「シャーが米に
亡命した時には、すでに米当局とイランのイスラム聖職
者勢力との間で、新政権に関する話し合いができていた」
「イラン革命政府は、米が革命を支援していたことを隠
している」との指摘が出ている。革命前、シャーはイス
ラム聖職者集団に接近し、対立回避策を試みたが、同時
期には米当局も聖職者に接近し、非公然に革命を煽るこ
とをやっている。

 ホメイニは米からの非公式な支援を受け、イスラム革
命を成功させたが、革命から7カ月後、革命派の学生ら
がテヘランの米大使館を人質を取って占拠した後、米イ
ラン関係は悪化し、ホメイニは米を敵視する態度をとる
ようになった。米大使館占拠は革命発生直後にも起き、
ホメイニは一貫して革命派による米大使館占拠に強く反
対していた。しかし、2度目の占拠が長引き、米議会で
イラン制裁が議論され、米軍ヘリコプター部隊が秘密裏
にイランに侵攻して人質救出を試みたが失敗するといっ
た敵対行為が増す中で、ホメイニ政権は反米姿勢を強め
た。

 米大使館の人質解放までには約1年かかったが、この
間、米では大統領選挙があり、軍産複合体が推す共和党
レーガンが勝った。1980年10月の選挙前には、副
大統領候補だったパパブッシュがパリに行き、イランの
ホメイニ側近と会い、レーガン陣営が勝ったら人質を解
放するとの約束を得て、人質解放に失敗し続ける現職の
民主党カーターとの違いを鮮明化し、選挙戦を有利に進
めた(10月サプライズ事件)。

 レーガンは就任後、ソ連に対する敵視を再燃させたり、
巨額予算がかかるミサイル防衛計画を開始したりして米
の軍事費を急増させ、軍産複合体を潤わせた(政権末期
には、ゴルバチョフと対談して冷戦を終わらせるという、
反軍産的な挙に出たが)。

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