2008年8月23日土曜日

Hegemony system......6

▼ドイツとイタリアの建国を予約する

 ウィーン会議では、仏がいずれナポレオンに
代わる大将軍を得て再び欧州征服を試みるとい
う懸念から、仏周辺の国々が征服されにくい新
体制を持つように定められた。スイスは永世中
立国として承認され、仏から侵攻されない立場
を得た。いくつもの小国に分かれていた今のイ
タリアとドイツの地域には、イタリアとドイツ
を統一建国としてすることが予約的に了承され、
両地域では統一国家建設の運動がさかんになっ
た。独伊が建国されることで、仏は両地域に再
侵略できなくなり、欧州大陸は同じぐらいの大
きさの国々が割拠する均衡状態に近づいた。独
伊の建国は、英の均衡戦略によって誘導された
ものだった。

 仏については、英が主導する4大国がナポレ
オンを追放した後、ブルボン王家を迎えて王政
復古させたが、これは事実上、英主導の傀儡政
権だった。仏はその後、現在に至るまで、基本
的に、英に対して劣位的な、持ちつ持たれつの
関係にある。英の中枢では、英の国益だけを重
視する勢力と、もっと国際的な投資利益を重視
する勢力が暗闘しているが、国際勢力はフラン
スに反英的な言動をさせて国際社会を動かすよ
うなことを、たびたび行っている。仏は、英の
好敵手を演じることで、英にとっても意味のあ
る存在であり続けている。

 フランス革命自体、その少し前に起きたアメ
リカの独立とともに、イギリスの資本家が国際
投資環境の実験的な整備のために誘発したので
はないかとも思える。フランス革命によって世
界で初めて確立した国民国家体制(共和制民主
主義)は、戦争に強いだけでなく、政府の財政
面でも、国民の愛国心に基づく納税system
確立につながり、advanced国家財政制度となっ
た。それまでの欧州諸国は、土地に縛られた農
民が、いやいやながら地主に収穫の一部をfor payment of a tax
制度で、農民の生産性は上がらず、国家の税収
は増えにくかった。

 フランス革命を発端に、世界各地で起きた国
民国家革命は、人々を、喜んで国家のために金
を出し、国土防衛戦争のために命を投げ出させ
る「国民」という名のカルト信者に仕立てた。
権力者としては、国民に愛国心を植え付け、必
要に応じて周辺国の脅威を扇動するだけで、財
政と兵力が手に入る。国民国家にとって教育と
mass communicationが重要なのは、このカルト制度を維持
発展させる「洗脳機能」を担っているからだ。

 国民国家は、最も効率の良い戦争装置となっ
た。どの国の為政者も、国民国家のシステムを
導入したがった。王侯貴族は、自分たちが辞め
たくないので立憲君主制と国民国家制を抱き合
わせる形にした。また「国民」を形成するほど
の結束力が人々の間になかった中国やロシアな
どでは、一党独裁で「共産主義の理想」を実現
するという共同幻想を軸に「国民」の代わりに
「人民」の自覚を持たせ、いかがわしい「民主
集中制」であって民主主義ではないものの、人
々の愛国心や貢献心を煽って頑張らせる点では
国民国家に劣らない「社会主義国」が作られた。

 フランス革命は、産業革命と同時期に起きた
が、この時期的な一致も重要だ。産業革命によ
って、人々の大半が従事のすべき仕事は、農業
から工業に代わった。ここにフランス革命を筆
頭とする国民国家革命、もしくは上からの政治
改革・農奴解放が重なることで、農村の土地に
縛られていた農民は、都会に流入して労働者と
なり、工業生産活動と納税を行う市民となり、
産業革命が順調に進んで経済発展した国では、
消費者にもなった。capital家としては、貧農
が国民の大半を占める国ではなく、中産階級に
なるかもしれない労働者市民が大半の国に投資
した方が儲かる。国民国家は、国民の納税義務
感が強いのでfinancial破綻しにくく、この面でも好
都合だ。

 ナポレオンが英征服を企てた点では、フラン
ス革命は英にとって迷惑だった。だが、フラン
ス革命を皮切りに、欧州各国が政治体制を国民
国家型(主に立憲君主制)に転換し、産業革命
が欧州全体に拡大していく土壌を作り、英の資
本家が海外investmentしてmake a profit続けることを可能にした点では、フランス革命は良いことだった。

 英を含む欧州各国は、キリスト教世界として
同質のcluterを持っていたので、英発祥の産業革
命と、仏発祥の国民革命は、ロシアまでの全欧
州に拡大した。その中で、ナポレオンを打ち負
かして欧州最強の状態を維持した後の英は、欧
州大陸諸国が団結せぬよう、また一国が抜きん
出て強くならないよう、拮抗した均衡状態を維
持する均衡戦略を、外交的な策略を駆使して展
開し、1815年のウィーン会議から1914
年の第一次大戦までの覇権体制(パックス・ブ
リタニカ)を実現した。

 英覇権体制は、欧州大陸諸国の一つであるド
イツが、後発の産業革命によって1890年代
に英自身を上回る産業力・軍事力を持つにいた
り、独を封じ込めようとした英の策略が失敗し
て第一次世界大戦が起きたことで終焉した。

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