モサデクは1949年に、英から石油利権の奪還をめざす
政党「国民戦線」を結成し、議会で勢力を拡大したが、その
背景には国民ばかりでなく、もう一つ支持勢力が存在してい
た。それはアメリカだった。アメリカは第2次大戦前から、
アジア・アフリカの多くの国々のナショナリズムや独立運動
を支援し、中東ではイランのほか、エジプトで汎アラブ・ナ
ショナリズムを提唱するナセル大統領に対する支援も行って
いた。
米政府は戦時中、1941年にイランが英ソに占領され、
連合国側の支配下に置かれた後、イランの国家建設に協力す
るようになった。1947年に米ソ冷戦が始まってからは、
ソ連と隣接するイランは米にとって急に重要となった。イラ
ンの警察隊を訓練するために米政府が派遣したノーマン・シ
ュワルツコフらは、イランの政治勢力に対するナショナリズ
ムの鼓舞を行い、モサデクらのナショナリズム政党がイラン
政界で勢力を拡大し、親ソ連の共産党の伸張を防いだ。
民意とアメリカの後押しで、イランでの石油利権の奪還運
動は強まった。米の石油会社アラムコは、サウジアラビアの
石油利権を持っていたが、同社は1950年、サウジ側との
石油利権を50対50の折半にする契約改定に同意し、サウ
ジ側の取り分は急増した。これを見て、イラン政府は英に同
様の改定を求めたが、英は拒否した。シャーもそれ以上の交
渉を否定したため、イランでは暴動が起こり、シャーは19
51年にモサデクを首相に任命せざるを得なくなった。モサ
デクは首相に就任した直後、石油産業の国有化を宣言した上
で、英に再交渉を要求した。
英は交渉を拒否し、イランでの石油操業を停止した。英側
は石油会社の従業員を引き揚げるとともに、イランが油田を
国有化して産油しても世界に売れないよう、同盟国にイラン
の石油を買わないよう頼むなど、イランに対する経済制裁を
発動した。
だが米は、モサデクを憎悪する英と対照的に、モサデクを
支持し続けた。英軍は1951年、イラン南部に侵攻して油
田を軍事的に接収することを検討したが、米に反対され、あ
きらめた。第2次大戦後の英は、戦争で疲弊して国家破綻状
態で、米の協力なしには軍事行動できない状態だった。米は、
イランと英との再交渉を仲裁しようとしたが、英の強硬さゆ
えに失敗した。米国務省は、英の態度を批判する声明を出し
た。
英とイランの石油紛争は国連に持ち込まれ、モサデクはニ
ューヨークの国連本部で演説したが、この際、米政府代表は
モサデクを大歓迎した。国連参加の発展途上国の多くが、旧
態依然の英の支配と果敢に戦うモサデクを賞賛した。日本も
対米従属だったがゆえに、英の制止を無視し、出光興産がイ
ランから石油を買い付けた(日章丸事件)。

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