2008年8月3日日曜日

The Iranian revolution was by America......????

 イランの現代史を見るとき、理解が困難な大事件が
2つある。一つは1953年に米英がモサデク政権を
失脚させた事件。二つめは、1979年のイラン革命
(イスラム革命)である。

 1940年代までイランでは、イギリスがイラン国
王(シャー)を傀儡化し、イランの石油利権のうち1
6%しかイラン側に渡さず、残りの84%が英石油会
社(アングロ・イラニアン。今のBP)に入る仕掛け
が作られていた。英は1901年にイランの石油利権
を得た後、イランの王室を傀儡化した。ロシア革命後
の1920年に、ソ連の赤軍がイランに侵攻し、当時
の王室(カジャール朝)が抗戦しきれないと見るや、
イギリスはイラン軍の有力な司令官だったレザ・ハー
ンにクーデターを起こさせて政権転覆し、ハーンは1
925年に国王(シャー)になり、パーレビ王朝を開
始した。

 その後、1930年代にナチス政権のドイツがイラ
ンの石油利権を狙い、イギリスより有利な条件を提示
したため、シャーは親独に傾いた。1941年に第二
次大戦が始まると、イギリスはソ連と組んでイランを
占領し、ドイツ寄りのシャーを強制退位させ、息子の
モハメド・レザ・パーレビ皇太子を王位につけた。シ
ャーは、英のイラン統治の道具だった。

 第2次大戦後、世界的にナショナリズム運動が強ま
る中、イランでも、イギリスから石油利権を取り戻す
ことが、イランの政治家たちの目標となった。だが、
イギリスの支配力を背景に王位を維持していたシャー
は、英と交渉して石油利権の奪還を目指すことなどで
きなかった。イラン政界では、議会がシャーの権力を
削いで、英と再交渉する力をつけることが目標となっ
た。

 この動きの主導者の一人が、1953年に米英に失
脚させられることになったモハマド・モサデクだった。
モサデクは、カジャール前王朝の親戚にあたる貴族だ
ったが、政治家としてはナショナリズムと民主主義、
イギリスからの完全独立を明確に主張し、国民の人気
は高かった。彼は失脚後、自宅軟禁状態で60年代に
死んだが、現在のイランでも彼を慕う人は多い。

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