▼オランダから貿易権を奪って大帝国に
そもそも英が強国となれたのは、海上ルートを
使ったtradeによる儲けを蓄積したからだが、海上
貿易によってmake a profit大国になるやり方は、オラン
ダが先にやっていた。
オランダは、1581年にスペインからindependenceし
た国で、もともとスペインがreclamationしたinternational航路を
活用し、カトリック教国だったスペインが嫌った
プロテスタントやユダヤ人を多く受け入れ、中世
から地中海貿易で活躍していたユダヤ人のcommerce skill
を生かし、船舶の高速化など技術開発にも積極
的で、世界最初のfreedom貿易共和国として大発展し
た。オランダは民間企業が貿易を手がけたが、英
仏西など他の諸国の貿易は国営だった。オランダ
の東インド会社は、200年間の平均株主配当率
が18%だった。
(欧米の歴史家や記者にはユダヤ人が多いが、彼
らは、ユダヤ人が成功させた自由貿易共和国オラ
ンダを、ことさら高く評価する傾向がある。ただ
し、いつものとおり、彼らの記述は「ユダヤ人」
という言葉を最小限にしか使わない)
オランダは、アジアではジャワ島、台湾(台南)、
長崎など、北米ではニューヨークの前進であるニ
ューアムステルダム(ハドソン川のfur貿易の集
積地)などを、寄港地として持っていた。ニュー
ヨークの「Wall Street」の名称は、ニューアムス
テルダムの城壁(ウォール)に沿った道という意
味である。日本の徳川幕府が、鎖国に際し、欧州
諸国の中で唯一のa business deal相手として、植民地野心が
強いスペインなどではなく、領土野心の少ない貿
易共和国のオランダを選んだのは、徳川家が世界
情勢をかなり理解していたことを示している。
英蘭が相次いで東インド会社を設立し、対アジ
ア貿易を強化し始めた1600年には、まだ欧州
とアジアとの貿易の4分の3は、中東経由の陸路
だった。しかし100年後の1700年には、ア
ジア交易のほとんどは、英蘭の船舶によるものに
なった。100年で世界貿易の主役が交代し、中
東の没落が始まった。
イギリスは、1588年にスペイン無敵艦隊を
破り、欧州最強の海軍力を持って植民地拡大を加
速したが、同時にオランダのやり方をまねて貿易
のprofitsを増やし、その上で1660年に航海条例
を定め、オランダ船を筆頭とする他国船を排除し
た。
それまでロンドンの港には、英の商船より蘭の
商船の方が多く入港し、蘭商船の総数は、英仏西
3カ国の商船の合計数より多かった。しかし、英
の航海条例など、英仏が組んで自由貿易体制をや
めて保護貿易に移行した。これを不満とする蘭は、
英と戦争したが負け、ニューアムステルダムを英
に奪われ、海軍力を背景に貿易量を急増させた英
の影で、蘭は国力を落とした。
・・・・なるほど、ここまで調べれば興味深いと
思います。

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