▼英のスエズ以東撤退との関係
英米覇権からやられっぱなしのアラブ諸国の
為政者には「戦力こそ正義」と考える風潮があ
った。シリアとエジプトという、イスラエルの
南北に位置する有力なアラブ2国の領土をイス
ラエルが戦争で剥奪し、その後、土地を返還す
るから和平しよう、と提案することは、イスラ
エルが優位に立ちつつ和平を実現するための、
効果的な戦略だった。
この「戦争による和平戦略」が1967年と
いう時期に行われたことも、私は意味を感じる。
67年は、英がスエズ運河以東(キプロスより
東)の全地域からの撤退を行っている年だった。
スエズ以東からの英軍撤退は、68年におおむ
ね完了した。
英は第2次大戦後も大英帝国を維持していた
が、60年代の国内経済不振の中、アジアから
すべての軍隊を引き揚げる方針を決定し、撤退
を実施した(グルカ兵を除く)。撤退の準備と
してマレーシアなど英植民地は独立し、東南ア
ジアでは67年にアメリカ主導でASEANが
作られた。ペルシャ湾岸諸国ではこの時期、通
貨の英ポンドに対するペッグ(為替連動)が終
わり、代わりに米ドルへのペッグとなった。7
1年にはシンガポールにあった英軍の極東司令
部が廃止され、アジアは英覇権下から米覇権下
への移行が完了した。代わりに英は欧州とのつ
ながりを強め、73年にEC(欧州共同体)に
加盟した。
この英の戦略転換は、世界的に重要な節目だ
ったが、米英は覇権の移転を人々に知られたく
なかったらしく、関連するすべての動きは、深
い意味づけが表明されないまま実施された。英
から米への覇権移転が始まった第二次大戦時に
「覇権移転は25年かけて行う」といった米英
密約があり、それに沿って挙行されたのかもし
れない。1956年のスエズ動乱(エジプトが
スエズ運河を国有化し、英が仏イスラエルを誘
って国有化を阻止しようとしたが、米がエジプ
トの肩を持ち、英は敗退した)の失敗も、スエ
ズ以東からの英撤退と関係ある。
1968年の英撤退は、それまで英覇権下に
あったイスラエルとアラブにとって大事件だっ
た。英から覇権を引き継ぐ米は「民族自決」を
推奨していた。アラブ連盟は64年、パレスチ
ナ人に、イスラエルと戦って民族自決を勝ち取
るための組織としてPLO(パレスチナ解放機
構)を作らせた。PLOの後見人はエジプトだ
った。アラファトらが率いるPLOのゲリラ部
隊は、西岸やヨルダンを拠点に「パレスチナ解
放」のための対イスラエルのゲリラ戦をやり出
した。
イスラエルとアラブとの恒久的な敵対を扇動
してきたイギリスが中東から撤退することは、
イスラエルにとって、アラブとの和解のチャン
スだった。この機会を逃してアラブとの敵対が
放置されると、PLOなどパレスチナ人による
ゲリラ活動が活発化し、イスラエルの国家存続
を脅かしかねなかった。そこで、英がスエズ以
東から撤退していく1967年に、イスラエル
は六日戦争を起こし、その後に予定されていた
和平の取引材料としてのシナイとゴランを獲得
した。

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