2008年9月15日月曜日

piece・・・dream・・・success

▼アラブとイスラエルの対立を扇動したイギリス

 和平するつもりなら、戦争などせず、最初から
エジプトとシリアに、和平しましょうと直接に提
案すれば良いではないか、と思う人が多いだろう。
しかしイスラエルは、アラブ側に和平提案できる
状況になかった。

 イスラエルは1948年、イギリスの植民地
(国際連盟の信託統治領)だったパレスチナの西
側4分の1の地域で建国した。中東全域を支配し
ていた英は、中東の各勢力をできるだけ分割し、
相互に敵対状態を永続させることで、外部から支
配している英が漁夫の利を得て仲裁役に立てる均
衡戦略(バランス・オブ・パワー)を採っていた。

 その一環として、英はユダヤ人国家の領土が大
きくなりすぎないよう、パレスチナの東半分(ヨ
ルダン川東岸)でアラブ人の国王(ハーシム家)
に建国を許し、トランスヨルダン(今のヨルダン)
を作った。さらに、トランスヨルダンとイスラエ
ルの間には、1947年の国連決議などによって、
パレスチナ人の国家建設が予約された。欧州の国
際政治の舞台裏で長く活躍し、国家運営の技能に
長けたユダヤ人に広大なパレスチナ全土を与えた
ら、英を中東から追い出すほど強いイスラエル国
家が建設されると恐れ、英はイスラエルの領土を
できるだけ小さくしたのだろう。

 加えて、英はアラブ側にイスラエル敵視の感情
を植え付けた。英は、第二次大戦でアラブ諸国が
ドイツの味方をしないよう、アラブが夢見る「民
族統合」のための組織「アラブ連盟」(アラブ諸
国の連合体)を1945年に作ってやったが、そ
の後約60年のアラブ連盟の歴史を見ると、米英
に都合の良いように分裂され続けている。アラブ
連盟は、英の傀儡組織と疑われるが、同時に同連
盟は、イスラエルを強く敵視する組織であり続け
てきた。

 1948年のイスラエル建国時に、イスラエル
に宣戦布告したのはアラブ連盟だったし、197
9年にイスラエルと和解したエジプトは、連盟か
ら除名された(10年後に復帰した)。英(米の
軍産英複合体)は、アラブ連盟を使って、アラブ
とイスラエルとの永続的対立を維持してきたとい
える。覇権国によって作られた敵対構造の中で、
イスラエルがアラブに和解を提案しても、拒絶さ
れるだけだった。

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