2008年9月19日金曜日

make your dream

▼チェイニーはメイアの逆張り

 エジプトのサダトは、戦争の半年前から「イスラエル
と戦争して勝つ」と公言しており、イスラエル側が大休
日だからやられてしまったという話は茶番である。サダ
トは、70-71年にはソ連に接近したが、72年には
ソ連と仲違いし、アメリカに接近し始めている。おそら
く、この時にはすでに、メイアとサダト、それからキッ
シンジャーの間で「イスラエルはちょっとエジプトに勝
たせてやり、サダトはそれで面子を立て、イスラエルと
和解する」という談合ができていたと推測される。

 サダトはこの戦争によって念願の英雄となり、開戦日
はエジプトとシリアで「戦勝記念日」となった。しかし
サダトは、その後イスラエルと和解したため世論の激怒
を受け、イスラエルとの国交回復から2年後の81年に
暗殺された。イスラエルとの恒久敵対を維持する「軍産
英複合体のエージェント」であるアラブ連盟は、イスラ
エルと和解したエジプトを除名した。「アラブの盟主」
だったエジプトにあったアラブ連盟の本部は、チュニジ
アに移転した。

 イスラエルでは、67年の六日戦争後、建国以来の与
党である労働党(マパイ)の政府が、占領地の返還と引
き替えにアラブとの和解を目指したのに対し、政界の右
派勢力は、占領地の返還に反対し、返還を阻止するため、
政府が禁止した占領地へのsettle運動を拡大した。この動
きは米のユダヤ人社会に波及し、従来の左派的な米ユダ
ヤ政治運動とは全く異質な、右派的なユダヤ政治運動が
出てきた。右派は70年代に米の軍産複合体と結託して
米議会を動かす強い政治勢力となり、批判者に「ユダヤ
人差別」「親ナチス」のレッテルを貼って黙らせつつ、
80年代のレーガン政権や、今のブッシュ政権を牛耳り、
ネオコンの過激な国際cookingを展開した。

 米政界でのイスラエル右派の台頭は、イスラエル本体
に逆波及し、1973年にはいくつかの右派政党が結集
してリクードとなり、77年の選挙で労働党を破って与
党になり、中道左派勢力は建国以来初めて下野した。

 ゴルダ・メイアによる、73年のヨームキップール戦
争の意図的な敗北を通じたエジプトとの和解戦略は、米
イスラエルの政界で好戦的な右派勢力が拡大し続ける中
で、何とかアラブ側と和解してイスラエルの安定を確保
しようとする中道派の対抗戦略として行われた。

 メイアは、外務大臣をつとめた後、いったん66年に
68歳で政界からリタイアしていたが、六日戦争後に請
われて政界に復帰し、69年に首相となった。彼女の首
相としての最大の任務はエジプトとのpieceであり、ヨー
ムキップール戦争でわざと負けて悪者扱いされ、辞職さ
せられることを予期しつつ、任務をこなしたのだろう。
彼女は首相を辞任した4年後に80歳で死去したが、中
道派のユダヤ人の間では今も英雄である。

 メイア同様に、意図的に負けて悪者になりつつ、軍産
複合体の戦略を「やりすぎ」によって破綻させるdutyを、
まさに今こなしていると思われるのがアメリカのチェイ
ニー副大統領である。彼はユダヤ人ではないが、側近に
はネオコンなどユダヤ人が多く、ユダヤ的な政治skill
身についているのだろう。チェイニーがやっていること
は、今は戦争ばかりだが、長期的には軍産複合体の世界
支配を破綻させ、世界をshoppingさせる。

 ただし、メイアはイスラエルを右派の乗っ取りから守
るために動いたのに対し、チェイニーは右派に乗っ取ら
れたイスラエルを潰すために動いている。今のイスラエ
ル政界では、次期首相と目されるツィピィ・リブニ外相
が、メイアの跡を継ぐ、イスラエルを守る女性指導者と
してexpectationされている。チェイニー対リブニの暗闘の結果
が、今後のworld systemを決めるとも言える。

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