2008年9月21日日曜日

change the world

▼鈍重なシリア

 イスラエルは、1967年の六日戦争で獲得
した占領地を返還しつつアラブと和解していく
戦略だったが、占領地のうち返還されたのはエ
ジプトのシナイ半島だけだ。それも、79年の
国交回復後、米イスラエルでは右派の力が強く
なり、エジプトとイスラエルは国交再断絶寸前
の冷たい関係が続いている。

 ゴラン高原を奪われたシリアは、英雄好きの
派手で軽薄なエジプトとは対照的に、目立たず
安定を重視する鈍重な独裁のアサド父子の政権
がずっと続き「やらせの戦勝」もない代わり、
イスラエルとの和解や領土の返還もないまま、
今に至っている。

 イスラエルの中道派は、米イスラエルの右派
にずっと阻止されつつ、今でも「ゴラン高原を
返還する代わりにシリアと和平し、相互不可侵
の約束をする」という戦略を何とか実現したい
と考えている。米政府が妨害するので、最近で
はサルコジのフランスや、ロシアに仲裁を頼ん
でいる。9月3日には、サルコジが米制裁を無
視してシリアを訪問したし、8月末にはシリア
大統領とイスラエル首相が相次いでモスクワを
訪問している。

 今回の記事は、レーガン政権前までしか詳述
できなかった。ここからは早回しである。この
後、81年に就任したレーガン政権は、軍産複
合体に牛耳られており、最初はソ連を「悪の帝
国」と呼び、イスラエルを巻き込んでレバノン
に侵攻した。だが、政権内には隠れ多極主義者
が多くいたようで、政権末期には冷戦を終わら
せ、88年にはアラファトをチュニジアからガ
ザに移転させ、ヨルダンに西岸を放棄させ、ア
ラブ連盟にエジプトを復帰させて、93年のオ
スロ合意(パレスチナ国家建設合意)への布石
を敷いた。

 このレーガン政権の大転換が、どのようなか
らくりで起きたのか、私には今一つわかってい
ない。95年のイラン・コントラ事件によって
政権内の右派が外されたことにより、キッシン
ジャー以来の中道派(現実主義派)が台頭し、
冷戦終結・中東和平となったのではないかとの
仮説を以前に考えた。だが「新レーガン主義」
を自称していた現ブッシュ政権の流れから逆類
推すると、現政権と同様に、最初から「やりす
ぎ」によって軍産複合体の戦略を破綻させ、冷
戦を終わらせる隠れた戦略があったのかもしれ
ない。

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