19世紀にイギリスが覇権国となれたのは、世界最強
の海軍力を持っていたからだった。そこから派生して考
えられるのは「海軍力に頼るイギリスにとって、強い陸
軍がないと攻められないロシアは、大変苦手な相手だっ
た」ということである。ロシアはこれまで、19世紀の
ナポレオンと、20世紀のヒットラーによって侵攻され
たが、いずれも侵略者の敗北で終わっている。
海軍が強く、世界の多くの沿岸国に対して覇権を持っ
ていたイギリスは、ロシアの外側にあるユーラシア大陸
の外縁部は、イラン・インドから中国沿岸部まで、ぐる
りとおさえていた。しかし英は、大陸の内陸部に影響力
を行使するのは難しかった。英の対露戦略は、ロシアが
ユーラシアの内陸から海岸部に出てこないよう封じ込め
る戦略となった。日本と日英同盟を組み、1904年の
日露戦争を誘発したのが、その一例である。
ロシアが16世紀以来、シベリア、中央アジア、コー
カサスへと領土を拡大した原動力の一つは「タタールの
くびき(束縛)」への反攻だったと考えられる。タター
ルとはモンゴル(キプチャク汗国)を指している。12
40-1480年代の240年間、ロシアはチンギス・
ハーンが作ったモンゴル帝国に支配され、その後はロシ
ア人の国(モスクワ公国)が復活したものの、毎年のよ
うに中央アジアから攻めてくるタタール(中央アジアの
トルコ系勢力)との戦いに苦しめられた。タタールのく
びきを打破するため、ロシアの為政者は、国力が増して
くるとシベリアや中央アジアへの征服をさかんに行い、
逆にタタールと総称される中央アジアのトルコ系諸民族
を支配するようになった。
ロシアが領土拡大した原動力は、もう一つある。欧州
諸国は、1492年のコロンブスの新大陸「発見」以来、
世界地図の空白をすべて埋めるべく、先を争って世界各
地で領土の占領を宣言した。この欧州諸国による拡大競
争に参戦するかたちで、ロシアは領土拡大に走った。他
の欧州諸国はすべて、船を使って海洋を経由して探検や
征服を続けたが、ロシアは例外で、陸路で探検隊と軍隊
を派遣し、領土を拡大した。ロシアだけが陸の帝国だっ
た。

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