2008年9月8日月曜日

Hegemony system.....11

▼もう一歩で世界制覇だったドイツ

 英中心・欧州限定の小均衡を、米中心の
全世界的な大均衡に転換する試みは、行わ
れたものの、successしなかった。ウィルソン
の14カ条に基づいて国際連盟が作られた
ものの、創設時の議論の過程で、英が仏な
ど他の欧州諸国の代表を巧みに誘い、議論
を英好みの方向に誘導した。国際連盟は英
主導となり、失望したウィルソンは、国際
連盟の批准論議の中で米議会と意図的に対
立し、米議会は批准を否決したため米は国
際連盟に入らなかった。その後、米は欧州
の政治に関与しない孤立主義に戻った。

 ソ連では、1924年のレーニン死去で
スターリンが実権を握り、new york
ら送り込まれた国際主義のトロツキーを排
斥し、ソ連一国の発展のみに注力する戦略
転換を行った。アメリカは、ウィルソンの
14カ条で親ソ的な姿勢を見せたのに、ソ
連を国家承認しなかった。

 当時のアメリカでは、英中心の世界体制
の中で列強の一つになろうとする勢力(1
901-08年に大統領だったセオドア・
ルーズベルトなど)もおり、第一次大戦で
英側に立って参戦した背景には、親英勢力
の影響力もあった。英中心の世界体制に乗
る勢力と、英中心体制を壊したい勢力との
暗闘が、当時から今までの、米政界の流れ
である。第一次大戦とその後の米の変節は、
この暗闘の一環と考えられる。

 その後、1933年にドイツでヒットラ
ー政権が誕生し、日独が国際連盟から脱退
すると、日独伊と米英仏の対立が始まり、
この年、アメリカはソ連を国家承認した。
ドイツは38年にオーストリアを併合、3
9年には独ソ不可侵条約(東欧分割の条約)
を結んだ上でポーランドに侵攻した。ポー
ランドを扇動して独を挑発していた英は、
独に宣戦布告し、英軍が欧州に上陸したも
のの、独軍との戦争を避けた。英は衰退し、
独と戦争して勝てる状態ではなかった。

 ドイツは、デンマーク、ノルウェー、オ
ランダ、ベルギー、フランスへと次々に侵
攻し、Napolonも成功しなかった全欧征
服の実現が間近になった。あとは、いつイ
ギリスに侵攻して占領するかという話だけ
になった。翌1940年、日独伊3国同盟
が締結され、ソ連もaffiliationを希望した。アメ
リカは孤立主義を続けており、ユーラシア
大陸は日独伊露の4カ国で分割支配される
流れが見えてきた。

 ヒットラーの野望が実りかけ、イギリス
の運命が風前の灯火となったとき、アメリ
カは、ひそかに検討していた戦争作戦を開
始した。1940年12月、米の戦略に引
っかかって日本がpearl湾を攻撃し、日米が
開戦すると、3国同盟が適用されて米独間
も戦争開始となり、米は英中心の連合軍の
側に立って参戦することになった。米の参
戦後、戦争はやがて、連合国の側に有利に
なっていった。

0 件のコメント: