1967年6月に起きた第3次中東戦争(六日戦争)は、
画期的な戦争だった。イスラエルが、エジプト、ヨルダン、
シリアの3カ国に先制攻撃をしかけ、わずか6日間の戦争
で、エジプトからガザとシナイ半島を、ヨルダンからヨル
ダン川西岸地域を、シリアからゴラン高原を奪取し、現在
まで続く占領体制の始まりとなった。
イスラエルはこの戦争まで、1947年に国連が決議し
たパレスチナ分割案のイスラエル側の地域に限定して統治
していた。しかし、この戦争でイスラエルは従来の戦略を
打破し、アラブの土地を奪取していく拡張戦略に転換した
と考えられている。
しかし実は、六日戦争当時にイスラエル政府が考えてい
たことは、それとは全く逆の戦略だったかもしれない。イ
スラエルの元大統領であるハイム・ヘルツォーク(Chaim
Herzog)は、1989年に出版した回顧録の中で、六日
戦争の停戦からわずか10日後の67年6月19日に、イ
スラエル政府は、戦争相手だったエジプト・シリアとの平
和条約を結ぶことができた場合、戦争によって両国から奪
取占領したシナイ半島とゴラン高原を返還するという決議
を、秘密裏に閣議決定したと書いている。
六日戦争を起こしたのはイスラエルである。開戦した理
由はアラブ側との対立の積み重ねであり、決定的な事由が
ない。しかも、停戦直後に、早々とエジプト・シリアとの
和平を前提に、占領地の返還を秘密閣議決定していたとな
れば、イスラエルは、最初からエジプト・シリアと和平す
る目的で、和平材料として占領地を獲得するために先制攻
撃の短期戦を起こした疑いが強い。・・・本当に凄いこと
です。

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